宮沢賢治の食卓
魚乃目三太
少年画報社 思い出食堂コミックス
全2巻(正続)
1巻発行日 2017/4/10
 
岩手で農学校の教師を勤める宮沢賢治。両親のもとで暮らす彼の家を一人の生徒が訪ねてきた。父親が身体を壊して寝込んでしまい、自分が東京に出て働くことになったから、学校を辞めるというのである。
当時、貧しい家庭の生徒も多く、入学したものの卒業を待たずに去る者も少なくなかった。
 
そんな彼に賢治は、近所の食堂に連れ出し、鶏南蛮ソバをごちそうする。さらに、蓄音機など持っていないからと遠慮する彼に、さきほど賢治の部屋で聴かせたベートーベンの「田園」のレコードをプレゼントする。「これを見れば、岩手の春を思い出すべ」と。そして、「どこにいたって勉強はできる」と、万年筆だかボールペンだかも彼に渡すのである。
 
「宮沢賢治といえば、病弱で質素、我慢の人…等々、孤高の存在だとお思いの方も多いでしょう。しかし、それは本当だったのでしょうか」で始まるこの作品は、食にまつわるエピソードを通じて、宮沢賢治の人間的な暖かさや人となりを描いた作品。
 
教職で得た給料をレコードなどですぐに使い果たすとか、時々上京しては文房具などを買うなど、金銭に無頓着なところがある。旅に出て所持金を使い果たして、帰路の途中から歩いて帰るなんてこともあった。十分なお金を用意できなかったのではなく、旅先の旅館でご祝儀を渡してしまったり、東京で滞在している弟に豪華な料理を振る舞ったりしたせいだ。しかし、歩いて帰れる場所までは鉄道で戻れるだけのお金は残しているわけで、計算高かった、ともいえる。両親とともに暮らし、経済的にも恵まれており、また自身も教職についているので、貧乏で苦労したのだろうなというイメージを持ってしまいがちだったが、どうやらそうではなかったようだ。
 
「続」は学校退職後の話でより伝記的。農業をして暮らす決意をして、別宅に一人で移り住む。そこは結核で夭折した妹がかつて療養していた家である。恋人も結核で亡くしており、本人も同じ病で天に召された。そういう時代だったのだ。有名な「雨ニモ負ケズ」は、病床で手帳に記されたもの。
 
症状を悪くする一方だった妹と違い、賢治は発病後も何度も回復して、農業をしたり創作活動をしたり、旅に出たりなどをしている。しかし最後は、両親の目の前で息を引き取る。その瞬間まで、この漫画は描かれている。
 
「雨ニモ負ケズ」は、死を受けいれるしかないと悟った賢治の悔しさ、生まれ変わったらこういう人間になるぞという生への憧憬を綴ったものなのだろうなと、この漫画を読んで初めて感じた。それまでは、学校の教科書に載っていたことや、賢治自身も教師であったことから、道徳的模範的な生き方を説いたものだと思っていたのだ。学校の先生はそういうことは教えてくれなかった。心身ともに健康でありたいというささやかな願いだったのだ。
 
最近の若い人は、テレビを観ない、と言われる。ネットなどで動画は視聴できるし、娯楽の選択肢も、ニュースなどの情報源も増えた。若い人だけでなく、僕も随分とテレビを観なくなった。テレビが実につまらなくなったからだ。
とはいえ、自分はテレビっ子である。家庭での団欒といえばテレビを囲んでというのが当たり前だったし、身近な娯楽といえばテレビだった。テレビがつまらなくなったといっても、何かというとスイッチを入れてしまう。そして、観るものが無くて愕然とする。
 
そんな時、たまたまJcomで、この漫画をテレビ化した「宮沢賢治の食卓」の一挙放送をやっていた。そして、原作を読みたくなって入手した作品である。
 

(漫画所持作品リスト 3319)