世間を騒がせ、マスコミを喜ばせた舛添都知事が辞任した。辞任の挨拶も無く、”人となり”が欠落した方と痛感。今回の騒動、日本の今の世情を読むのに大変参考になった。舛添さんは北九州市の八幡高校卒と聞く。実は私も若い頃の7年間、八幡や戸畑市に住み、興味深く”彼の生い立ち”や”人となり”に興味を持った。 今回の騒動は、舛添氏の資質が原因で擁護する気持ちは無いが、騒動の後、”人民裁判”・”衆愚政治”・”マスコミ辞任”の論評も有り⇒何だろう?と、私なりに考えた。
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 マスコミ報道をTVで見て、春秋の記事を読み、マスコミ報道に感謝する一方、舛添氏が出張視察・公用車・ショッピングを全て一つ一つ指示してやったとは思えなかった。以前の都知事の慣例や都職員の体質や”舛添氏の取り巻き”が大きな要因であろうと思った。私は都民ではなく、仲間との雑談でも、”選んだ都民が馬鹿だった”が多数だ。
 参議院選挙が真近、”議員になりたい”と手を挙げる人を選ぶ他無く、嫌になる。
 前置き長いが、本題の”政治学者が法に溺れる”の題名は、彼が選んだ解決策⇒”第3者の調査に委ねる”と、法に逃げた事が最大の失敗と想う。法律は最低限を定めたもので、”人として恥ずかしくないか!”⇒森進一さんの”お袋さん”の歌の通り、人の上に立つ人、また”立候補時の弁舌”等の責任に皆さん怒ったと思う(私も含め)。やはり、”公約”とか”演説”とか”輝かしい経歴”とか”ではなく、”人となり”や”隠してる経歴(例えば離婚歴等)”が一番大切と痛感した。政治家が何か不都合を指摘された時、「法に照らして疚しくない」の言葉の何と虚ろなことか!!!