本当の自分は

外で探すのでなく

自分の中にある


人間の使命とは

可能な限り「自分自身」に

なることである


☆アブラハム・ハロルド・マズロー

(心理学者)





ごきげんいかがですか?

Mizuhoですキラキラ

 


京都伏見で開催された

ぽっかぽか☀CIEL MARCHE

無事に参加できました。



お越しくださった皆様

主催者の真智子さん

出展メンバーの方々

心より感謝申し上げますキラキラ





さて!

映画「哀れなるものたち」を観ました。





R18指定で

過激だったり

残酷なシーンもある映画でした。

見る人によって

かなり好みが分かれそうだな

と、私は思いました。




ここからは、

ちょっとネタバレになりますが

私の感想を徒然に書いてみます〜

ご興味ない方はスルーしてください下矢印






もしも、体は成人で

脳は赤ちゃんだったとしたら…




主人公のベラは

科学者の手によって

体は大人、脳は赤ちゃんとして

生き返ります。

そして、様々な人と出会い

人間のモラルや世情に触れ

自我が育ち、

人として成長していきます。




現実の多くの子どもは

ひとり立ちするまで

大人の保護のもと暮らします。

つまり、ほとんどが

生きる環境を自由に選べない。




しかし、ベラは違います。

脳こそ赤ちゃんですが

成人の体ゆえ

訓練で体が使えるようになって

外界を知ることができ

自分の意志でどこへでも行けます。

好きな環境で生きることも可能です。




善悪の刷り込みがなく

恐れを知らず、ノーモラルな状態で

体は大人。

そんな人が世に出るとどうなるか?

を、ひとつの仮定でみせてくれる

それかベラです。




ベラの周りの大人は

モラルや社会通念で

彼女をジャッジしますが

逆に、大胆でとらわれのない彼女に

惹かれたりもします。




ベラの在り方をみていたら

娼館に来る様々な性癖の人々

倫理や法律を振りかざし

自分の欲求を満たそうとする人、など

周囲の人間が

抑圧されていて不自由に見えてくるから

不思議です。




そして、きっと彼女を見ることで

映画を鑑賞している側も

自分の持っているモラルが

どういうものか、

何を善しとし、何を嫌悪するかが

浮かびあがってくるように思います。




一方で

多くの制約の中で生きる人々に囲まれ

「自分」を体験できているベラ。




制限やジャッジメントがあるから

様々なドラマが生まれ

世の中は多様で、豊かにもみえます。








ベラには罪悪感がないと

私は感じたのですが

だからといって、

自分以外は全て無関心

ではなく



例えば

ある厳しい環境下で

子どもたちが亡くなるのをみて

嘆き悲しむシーンもあったりします。

また、彼女を生み出した科学者が

危篤になって、駆けつけたりもします。

当たり前ですが

ベラも間違いなく社会の一員なのだと

私は感じました。




そして、私がこの映画で

一番はっとさせられたのは

今、信じている「幸せ」は

前提や環境が変われば

全く意味ないものになるケースがある

ということ。




ある意味、カオスのような状態で

世の中に出ていくベラにとって

「喜び」「幸せ」とは何か?

を、想像してみたのです。

でも、私にはわからない。




ただ、彼女は「自由」であることを

ずっと望んでいる、と感じました。

感じるまま、思うままに生きたいのだな、と。









時と共に変化する

社会情勢、環境

モラル、社会通念、

コミュニティのルール、共通認識。

その中で生きていると

都度、幸せの定義が変わるのは

よくあることかもしれません。




けれど、どんな環境にあっても

「自分の幸せ」がわかる方法が

誰にでもあるのではないか

と私は思っていて




ベラはその見つけ方を

教えてくれているように

私には映りました。




それが、体感覚、です。




体を使って感じること自体

すでに幸せだったり

迷う時は、体感覚を頼りに

自分の快、不快に正直であることで

自分自身を生きられる。




それは、今現在の人たちにも

言えることなのだと思います。




いかなる環境にいようとも

体感覚を使い

自分の本当の幸せを見つける能力を

私達はみんな

持っているのではないでしょうか。

それは、社会の中で幸せに生きる

自身の土台なのだ、と私は思います。




ベラは自分の体を十分に使い

自分の幸せを生きていく人だと

私には映りました。




あ!ベラとそっくりにするといい

ということではありません。

例えば、口に合わない料理を

人前で吐き出したり

見ず知らずの人に体を触らせるとよい

と言っているのではなく。




好き嫌い

合う合わない

快、不快

などについて

人は考えるよりも先に

体が反応している、とも言われています。



そして、実際に私が

数多くセッションさせていただいた

経験から

体は正直で素直だと、強く感じます。

そこに、自分らしく生きる鍵が

あるように私は思います。




これはフィクションなので

ベラは死んだりしませんが

実際だったら

途中で大怪我をしたり

暴力をうけたり

命を落としたりも、するかもしれません。




だとしても

誰もがいつか命を終えるのだから

寿命に関係なく

どんな風に生きるのか決めることは

可能な限り「自分自身」になることや

自分の幸せに繋がっているのでは?と

私は思いました。




そのヒントを

映画のベラは見せてくれているのかも

しれません。




そして、生きていること

生きて体験することの全てが

実は幸せなのだよ

と、この映画は伝えたいのかも

なんて、思いました。







以上、徒然なる感想でした〜。

映画をご覧になった方で

「私はこう感じたよ!」など

教えていただけたら嬉しいです☺





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