散歩は、現実逃避とは違う。

必ず、短い時間のうちに元の場所へ戻らなければならない。

私はいつも、その短い外の時間に、
内側の自分を整理して、元の場所へ戻る。

引き出しの中を整えて、
またそっとしまうように。

その過程はいつも、
引き出しを閉めるときの、レールの音のように、
静かで、やさしい。

 

 

 

1.

 

中学生の頃から日記を書いていた。

仲のいい友達にだけ公開されているブログで、毎日、高校3年生まで。

その量はちょうど2350個。

 

親友は、こう言っていた。

「実際に見ている君と全然違ってびっくりした」

「外ではそんなに明るくて静かなイメージなのに、内側は真っ暗で皮肉っぽいところがあるんだね」

 

長い間、気づいていなかった。

頭の中はいつも複雑で、騒がしくて、

自分は自分のことを「活発な人」と思っていた。

 

外側の自分と内側の自分、

どっちが「自分」なのか、

分からなくなってきた。

 

 

 

2.

 

家族と喧嘩した後は、散歩に出た。

一旦その場所から離れることが大事だった。

30分だけでいい。

さぁ、行こう。

 

 

 

ある日、高校の友達と口喧嘩をしたとき、こう言われた。

「謝ってほしい」

 

人生の中で、とんでもなく難しいお願いだった。

 

自分の過ちを謝らない家庭で育てられた。

「愛」は過剰なぐらい求められて、

その愛だけあれば、時間を取るだけで、何でも許される家族だった。

 

勇気をもって友達にこういう話を伝えたら、

「謝るのは負けるもんじゃないよ」と言われた。

 

その次の日、

初めて「ごめんなさい」を口にした。

 


それから、喧嘩した後の散歩のルーチンに、一つが加わった。

「ただいま、ごめんなさい」

 

実は、もう一つ加わった。

「私が先に謝ったから、お姉ちゃんも謝ってほしい」

 

最初は断られた。

泣いた。

けれど、諦めなかった。

 

「謝ることは大事だよ、負けるもんじゃないよ」

「謝って、抱きしめてほしい。好きなんでしょう、私のこと」

 

内容は結構図々しかったけど、これでも震えながら言っていた。

洗脳が通じたのか、姉はどんどん謝ってきた。

 

「悪かったよね、ごめんね。先に言ってくれてありがとう」

 

その後、姉は彼氏にも、友達にも謝れる人になったと、

私のおかげだと言ってくれた。

 

この頃から、私の中で散歩は

距離を取るためではなく、

戻るためのものだった。

 

 

 

3.

 

一人暮らしの私は、父、母と毎週2-3回電話している。

 

「何してる?ご飯は食べた?」

「うん、食べてから散歩してるよ」

「散歩?」

 

母は、とても心配性な人で、

私が何かを始めるとすぐ色んな情報を調べて危険性について教えてくれる。

 

「人はいる?」

「探してみたんだけどさぁ、やめた方がいいと思うよ、犯罪が起きやすい場所なんだって」

「ママ、心配だから」

 

きれいに整備された散歩道で、両側には高いマンションが並び、

歩けば10人以上とすれ違うから大丈夫だよ、と伝えたら

少しは安心したようだった。

 

「でもね、冬は雪が降るでしょう。転んじゃったらケガするし、やっぱり心配だよ。」

「秋になったら部屋に室内自転車とか買ったらどう?3万ぐらいで買えるから」

 

しつこい!!!

 

母にとって私は、いつまでも10歳の子供なんだ。

 

別にいいけど。

たまには面倒だけど、かわいいと思う。

 

そういえば、

日本留学に行くと決めた時も、

他地域で就職して一人暮らしを決めた時も、

母は反対していた。

 

気にしなかったと言うには嘘だけれど、

そのたびに、私はこう言っていた。

「私の人生だから」

 

 

私ね、

今度はね、

毎日歩いてるこの場所の、この景色が好きなんだ。

引っ越して、一番よかったと思えるところなんだ。

 

いつか、この散歩道を一緒に歩こうね、と伝えた。

 

 

 

4.

 

私が通っている散歩道には、お年寄りが多い。

気づけば、私が一番若いくらい。

健康を大事にする年齢って、そういうものなんだと思う。

 

イヤホンをつけて、ゆっくり歩くと

分かれ道が見える。

どの道を選んで歩こうか、ほんの一瞬で決める。

そこで景色が変わる。

 

まるで、人生のように。

 

 

 

どの道を歩こうか。

私はいつも石畳の道を選ぶ。

 

 

どの道を選ぼうか。

私はいつも謎の木のレールの上を歩く。

 

 

 

5.

 

人が死んだとき、「亡くなりました」の意味で

韓国語ではこう言う。

 

「돌아가셨습니다」

 

直訳すると、

 

「戻りました」

 

 

 

戻り先は何処なんだろう。

 

私たちは、何処から来て、

何処へ向かっていくのだろう。

 

人生は、居場所に戻る行為の繰り返し、だと思う。

 

その居場所は人によって違うけれども、

私の居場所は未だに見つからない。

 

ただ、今の行き先は、

自分であるだけ。

 

 

 

 

自分は、誰かに見られたい自分がいて、

同時に、誰からも見られたくない自分がいる。

 

家族にも、友達にも見せたくない自分を、

散歩道に置いてくる。

その感情を、ここに書いている。

公開されているこの空間に。

 

 

そういうことを考えながら、

イヤホンで音楽を聴きながら、

ずっと前を見て歩く。

 

 

幸せ。

 

そして、

寂しい。

 

 

家に戻ると、

一人だけれど、

一人じゃない気がする。

 

ずっと認めたくなかった寂しい自分と、

今は、その寂しさを理解している自分が手を繋いで戻ってくる。

 

散歩は、

外側の自分と内側の自分が仲直りする過程、

だと思う。

 

 

 

6.

 

最後に、散歩道で撮った写真を何枚か載せたい。

 

まずは、散歩に行くときの、定番のバミューダパンツ。

 

 

セールで15,000ウォンだった。安い。

 

 

会社では履けないけど、こうやって、週末にはこのバミューダパンツを履いて散歩に行く。

 

 

好きな景色。

 

 

2週間後、開花。

 

 

夕焼けに、建物がオレンジ色に染まるのが好き。

 

 

怒ってる猫。

 

 

仲の良い猫。

 

 

私生活がバレた猫。(近づいたら逃げちゃった)

 

 

日によって、雲の形も色も違う。

自分の気持ちのように。

 

 

 

また行こう。

そして戻ろう。

 

 

この「ただいま」を、

繰り返そう。