お墓詣りに行ってきました。

 

 

30年以上も前の事。

日本はバブルで踊ってた。

 

父を亡くし、過剰な程干渉する母を疎ましく思い、平日は地元(静岡)の大学に通い、週末は都内の大学に通う友人の下宿先に泊まり、夜は、青山、六本木、西麻布…。

 

フジテレビの「オールナイトフジ」が放送されていた頃、女子大生と言うだけでちやほやされる時代。

 

この世にこれほど楽しい事はないと想える時を過ごしていた。

 

そのころ、彼に出会った。

日本にこれほど美しい男性がいるのか?と思える容姿をしていた。

例えるなら「沖雅也」氏のよう。

生い立ちや醸し出す雰囲気も良く似ていた。

「芸能人になればいいのに」

誰もがそう思うほど妖艶で冷淡で美しい男性でした。

 

彼は芸能界ではなく、経済界のトップを目指していた。

 

 

学生時代が終わり私は地元で就職する。

一人っ子の私は、母を捨てられなかった。

 

彼は「東京」を捨てられなかった。

 

 

今ならベンチャー企業が古参の上場企業を出し抜けるが、まだ少し、いや、かなり時代が早かった。

 

 

時が流れ、母が亡くなり、51歳でやっと東京に…。

もしかしたら、偶然、ばったり、六本木の交差点で会えるかもしれない。

かつて防衛庁だったミッドタウンから乃木坂で会えるかもしれない。

 

 

それと同じくらい「もうこの世にはいないかもしれない」

孤高で危うい。

 

 

東京に住んで3年目、最近になってやっと当時の仲間に連絡をとる。

東京に出てきてから、いえ、それ以前も連絡をとる手段はあったのに…

 

ずっと避けていたのだと思う。

 

「あいつは死んだよ」と聞かされることを

 

齢30歳だった。

今の私の自宅マンションから車で15分もかからない墓地に眠っていた。

 

いくら容姿が似ていたからってマネをしなくてもいいのにね(笑)

新宿京王プラザホテル45階で打合せした時、違う意味で「沖雅也ってすごい」と思った。

その後の醜聞がそれまでの功績を全て打ち消したようになり、とても残念。

歳をとった「俺たちは天使だ!」の麻生CAPを観たかった。

 

 

死んでしまうってズルい。

若く美しいままの想い出しかない。

 

「おじさんになったね」と笑って意地悪を言いたかった。

「私は昔と変わらないでしょ?」と自慢したかった。

 

 

両親のお墓以外、初めて枯れた花を取り換え、墓石を洗った。

白い百合と紫のトルコキキョウがとても似合う人だった。

 

 

さよなら…