大学の図書館に、気になった映像教材があり、冬休み前に借りてみた。

 

 

DVD シリーズ 性の多様性と人権を考える② 「10代のカミングアウト」

 

セクシュアルマイノリティの10代の学生たちのドキュメンタリー番組。

番組に登場する5人の学生たちは、自分のマイノリティな性自認、恋愛対象、性のあり方について、家族や学校の友達関係の中で葛藤し、傷ついて、それでも新しい自分になろうと前へ歩き続けている。

 

”自分の姿を鏡で見るのが嫌だ、自分の体と思いたくない”

そう言っている10代の学生がいた。彼は、体は女だが、男として自分の性を意識している。

 

この言葉に、自分の経験を重ねずにはいられなかった。

自分はどこにでもいる、肩にかかるくらいの髪の長さの普通の女の子であるという自認。

しかし、その認識とは裏腹に、鏡を通して見る自分の頭はつるっぱげ。

私が長年かかえてきた「自分の姿は気持ち悪い」という自覚は、「自分はこう在りたいのに、現実の自分はそうではない」という、自認する(もともと自認していた)自分の姿と現実の自分の姿との相違に起因するのではないかと思った。

 

 

自分の姿と現実の自分の姿が違うということに一旦気づくと、周りから見られたい自分の姿と、現実の自分の姿とが違うということにも気づく。「普通の女の子」として見られたいのに、いつも周りから見られている私は「禿げ頭の女」なのだ。

それゆえに、女性としての自分の容姿に自信がなかった。

こんな禿げ頭の自分が化粧したり、女の子っぽい服装をしたりするなんてとんでもない。

ただでさえ気持ち悪い容姿なのに、そんなことまでしたらどうなってしまうのだろう。

普通の髪のある女の子であったなら楽しめたはずのお洒落は、自分にとって受け入れがたく、拒絶の対象だった。

 

歯磨きや入浴をするために洗面所を訪れ、自分の禿げ頭を鏡越しに見るたびに、強い悲愴感と嫌悪感を感じた。

こんな自分は嫌だ、こんな自分でいたくない。

だからなるべく鏡を見ないようにしていた。

 

 

今では、こんな姿の自分でも受け入れてくれる人がいると気づき、前よりはまともに鏡を見られるようになったし、ウィッグをつけて少しは女の子らしい服装もできるようになったと思う。

それでも、日常のふとした瞬間に、自分の女性としての異質さを認識したり、認識させられたりして、孤独を感じることがある。

 

 

そんなことを考えた年初めであった。