日本からロンドンへ向かう機内で4本の映画を観ました。
そのうちの1本が本木克英監督の『鴨川ホルモー』でした。

これは京都を舞台にした大学生が主人公のファンタジー映画です。
感想は・・・・・・・う~ん、特に無いかな(笑)

でも京都の街を観ていたら、私の初めての感傷旅行を思い出しちゃった。




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大学に入学してすぐに、大好きだった彼にふられちゃった私、

嘘~、信じられない~、どうしよ~、もう生きていけない~
今思えば、あの時携帯電話があれば、すれ違うことは無かったのに・・・・・・(笑)
でもかなりショックだったのです。
とてもいい人だったし、かっこよかったし、面白かったし、お世話になったし。

そこをなんとか、もう一度やり直せないかお願いしてみたのですが、ダメでした(爆)


どうする、私?っということで、センチメンタルジャーニーで、心の傷を癒そうと、選んだ先が京都でした。
何でかって言うと、初めての一人旅だと寂しいし、怖いから知り合いのいる土地がいいな~と思って。
私には関東を離れて大学に行っている友人はその子しか居なかったんですよ。

その子は中1で一緒に学級委員をやった男の子で、それから長いお付き合いになる大切な友人の一人でした。
一体、彼にどれだけお世話になったことか!
しょぼくれ中学生だった私を励ましたり、勉強を教えたり、大変だったと思います(笑)

私たちは男女のグループで勉強会というものをやっていて、5人のメンバーがそれぞれの得意科目のプリントを作成し、放課後に家に集まって勉強したり、しゃべったり、ギターを弾いたりしてそれはもう、楽しかったな~

高校受験時には私が転校して違う中学に行っているのに、試験直前に彼に泣きながら、、
「もう、歴史がぜんぜん覚えられなくてダメだ~。助けて~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」
と、電話したこともあります。
彼は男子によくいる、歴史なら任せろ!っていう子だったので、泣きついたわけですが、すぐに、素晴らしい出来の長い手書きの年表が郵送されてきて、
「ハルちゃん、これだけ覚えたら大丈夫だ。頑張れ~!」と手紙も着いていて、本当にそれだけ勉強して見事、希望の女子高に合格したわけです。

あの時、母から、「試験前でこんなに忙しい時に、あなたの為にこんなに綺麗な年表を作ってくれたこと、一生忘れちゃいけないよ」と言われたな。


で、S県は公立校が男子・と女子別れていることが多いのですが、私たちは同じK市の男子校・女子高に通うようになって、高校3年間もまあ、親友みたいな感じで仲良しだったのです。

その彼が、京都大学に行ってたし、手紙で遊びにおいで~と言っていたし、これはもう遊びに、いや違った、傷を癒しに行くしかあるまいということになったのです。



宿の手配も全部彼に任せ、私は池袋からの夜光、いや、夜行バスに乗りました。
確か、京都行きではなく、奈良行きだった記憶があるのですが、その夜行バスの辛かったこと!
眠れないし、誰かのいびきがうるさいし、
翌朝,早朝に奈良に着いた時は半分死んでいました。
(夜光に殺されたわ・・・)

大変な滑り出しだよ、私の感傷旅行も・・・・・

しかも奈良と京都ってお隣だと思っていたらそれなりに離れていたわ。知らなかった・・・・

お宿は生協のホテルで、安くて綺麗で良かったです。
さっそく彼と彼女さんと私で鴨川のほとりに立つ、年代を感じさせる建物の中華レストランに入り、ビールで乾杯しましたビールイェ~イ!

久しぶりに会った彼は元気そうで、彼女も綺麗で、「こいつにはもったいないほどのお嬢様だな」と思った記憶があります(爆)
彼も私も物凄い貧乏なので、高級なところへは出入りできなかったけど、行きつけの素敵な喫茶店や、お散歩コース、京都大学、そしてもちろんお寺めぐりもして、すっかり元気になって帰ってきました。

というか、彼は自分の話しばかりして、私としては
私はフラれたばかりなんだよ。少しは私の話も聞け!
と強く思ったけどね・・・・・

映画にも出てきたような恐ろしく古い下宿にもお邪魔したが、足の踏み場も無い程、本が散乱していて、床が抜けたとか言っていたな。
毎日1冊の読書が日課だとかで、もう読み終わった本を、「これも上げる、これも、これも」と言って手渡してくれたのが懐かしい~

最後は彼と彼女に見送られて電車に乗りました。

今思い出しても、胸がきゅんとします、私のセンチメンタルジャーニー。

な~んてね(笑)
毎日楽しくて、もう一回行きたいなと思った旅でございました。



映画を観て、その土地の思い出に浸るのも悪いものじゃございませんね・・・・


長々とお付き合いくださいましてありがとうございましたm(_ _ )m