去年始めに会社を辞めた時の状況は、今考えても惨憺たるものだった。
一日の労働時間は20時間以上、休みは月に1~2日、帰宅は5日に一回程度。
人との関わりが極端に少ない、所謂「クリエーター系」の仕事だった為に一日会社にいて誰とも全く喋らない日も多かった。
わりと憧れて入る人が多い業界だったが、私は憧れどころか行き当たりばったりで入ったタイプなので、「好きだから大変でも続けられる」ということが無かった。まあ好きでも続かない人もたくさん見てきたが。
嫌いな仕事だったらすぐに辞めれば良いが、特に嫌いでもないしいいものが作れた時はやはり嬉しいので、ずるずると3年間続けた結果、ある日突然「失語症」になった。
会社の敷地内にいると、言葉がきちんと出なくなるのだ。何か喋らなければと焦っても、全く言葉が出ない。
病院に行く時間も無かったし、自分が「弱い」人間だとも思わなかったので、一時的なもので放っておけば直るだろうと思っていたら、一週間に続けて2回血を吐いた。
これはさすがにヤバイと思って病院に行ったら、ストレスによる心身症と認定された。(鬱病では無い)
このまま放っていくと、精神的なものより睡眠時間が少なすぎて自律神経系に障害が出るので、早急に休職か退職をしたほうが良いと言われ、それならと次も探さずに潔く会社を辞めることにした。
とは言え3年間それなりに頑張った結果か、ありがたいことにフリーでも仕事を頼んでくれる取引先も手元に残ったので、食うに困らない程度に毎月ポツポツ仕事はできた。また、業界に入る前にやっていたモデル事務所が仕事をくれることもあり、むしろ辞めた後のほうが時間にも金銭的にもかなり余裕があった。
ただ、当時の状態では時間的な余裕は無いほうが良かった。
それまで3年間鬼のように働いてきたので、いきなりポンと時間を与えられても何をしていいのかわからないのだ。
毎日やることがなくて困っているときに、モデル事務所からボンデージのショウで知り合った女性から電話があった。
その女性は、都内のSMクラブで働いている人だった。
ボンデージブランドのショウには、よくSM関係者が出入りしている。珍しい仕事の人だったし、かなり面白い女性だったので会場でもかなり話し込んだ覚えがある。
その女性から、「暇だったらこれからクラブに遊びに来ない?」と言われた。
その時の私といえば、家でぼーっとワンピースを繰り返し読んでは寝て読んでは寝ての状態だったので、もちろん飛びついてすぐに約束をして家を飛び出した。
彼女と落ち合うと、「約束をしてからすぐ予約が入ったから良かったら見学してきなよ」と言われ、そんな面白そうなもの見るに決まってるじゃないかとルームへ見学に入った。
ルームの構造や内部についてはここでは本筋と離れるので敢えて省略するが、そこで見たものはこれまで私が持っていた常識を覆す世界だった。漫画や小説でSMについて描かれているものは読んだが、描かれたものと現実は全く違った。
人によると思うが、私にとってプレイというものは、「どうとっていいかわからないもの」の連続だった。
全く理解できない世界。そんなものを生まれてこの方見たことがなかったので、多いに興味を注いだ反面嫌悪感もあった。
プレイが終わってから彼女に、「どうだった?」と聞かれた。
「よくわからんです」とだけ答えた。そりゃそうだろう。吊るされてイヤがりながら股間は大喜びしている初老の男性を見て理解ができる訳がない。
彼女は「だよねえ」と笑って、それからご飯に行き(その当時あの状況からすぐにご飯が食べられる神経がわかならかったが)、一緒に働いてみないか、と誘われた。
もちろん断った。
その時はSMが風俗だとは思わなかったが、それが初めて風俗に遭遇した一日目だった。