113.ツバサ工業 追記 (2) 新しい血の導入 | 「クラシックで行こう!」

「クラシックで行こう!」

クラシック・バイク、それもホコリを被って払っても払い切れない
クラシック・バイクを取り上げます。

ツバサ工業も勝れた製品を作ってはいましたが、それまでの製品ではHONDAのスーパーカブ実用性と

斬新なデザインに勝てるものではありませんでした。


HONDA C100 スーパーカブ (1958年発売)

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そこでツバサ工業デザインや設計新しい血を入れる事を考えました。


1956年、毎日新聞社が「第5回新日本工業デザイン」を公募しましたがその中のテーマの一つ

ツバサ工業のバイクの新デザインでした。


要求は「250ccの4st単気筒シャフト・ドライブ」、当時のGY型をリファイン」する目的だったようです。


「ファルコン号GY型」 (1958年式)

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空冷4stOHV単気筒250cc エンジン縦置きシャフト・ドライブ駆動、フロント・アールズフォーク、リア・スイングアーム

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ファルコン号GY型性能は充分でしたが、スタイルは泥臭かったのです。

プロも参加する狭き門でしたが採用されたのは弱冠22歳のアマチュア・デザイナー、田村八郎氏でした。


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田村氏 入選作品


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フレームプレスバックボーンですがヘッドライトタンク一体化し、エンジンもフレーム内に納まる

現在のスポーティ・スクーターに迫るデザインでした。


そして当時、バイク実用一点張りの無骨な乗物から若者が好むお洒落な物に変わりつつありました。


また、ツバサ工業自身も採算性の悪いシャフト・ドライブ250cc車見切りをつけ、125cc車に技術と人材を

注力する方向に変わって来ていました。


そしてこの結果、田村氏の入選作は250ccではなく、125cc車に適用される事になりました。


その結果、生まれたのが「ファイターHC型」でした。


「ファイターHC型」 (1958年式)

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空冷2st単気筒123cc 7.7ps/5500rpm 車重116kg 


エンジン4st250ccから2st123ccに変わり、エンジンがむき出しになった以外、田村氏のデザインそのままです。


流麗なスタイルは人気を博しましたが、コスト高になってしまいました。


その他にもリア・スイングアームピボットとドリブン・スプロケットが同軸になっているのも特徴でした。

そのメリットは「チェーンが伸びない事」とメーカーは強調しましたが、今ではそんなメリットより整備性が極端に

悪くなる事や、アンチ・スクワット性が悪くなる事問題視され、この方式は採用されなくなっています。


この斬新なスタイルも生産性の悪さがネックとなり、1960年にはモデル・チェンジとなり、ライトとタンクが

切り離されました。


田村氏の1960年レンダリング

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極力HC型の面影を残そうとした田村氏の努力に涙が出ます。


「ファルコン号HD型」量産車 (1960年式)

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このモデルチェンジにより車重は3kg増えてしまいました。


田村氏は本来の目的だった4st250ccの「ファルコン号GY型」のモデル・チェンジも手掛けられました。


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燃料タンク、ライトハウジング、シート、エンブレムを一新、特にニーグリップ・ラバーを廃したタンクは近代的。 

フロント・サスはボトム・リンクですが、フロントフェンダーの形が当時の日本の道路事情を物語っています。


エンジンは空冷4st単気筒246cc 駆動伝達方式はシャフト・ドライブ なのはGY型と同じでした。


田村氏は孤軍奮闘しましたが1960年当時ツバサ工業の生産ラインに流れていたのは親会社のダイハツ・ミゼットの部品ばかりで、ツバサ工業のバイク生産は「ファイターHD型」をもって終了したのでした。


                                                 (この項つづく)


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