111.宮田製作所 アサヒ号 追記 | 「クラシックで行こう!」

「クラシックで行こう!」

クラシック・バイク、それもホコリを被って払っても払い切れない
クラシック・バイクを取り上げます。

 どうも春は調子が悪く、今まで更新出来ませんでした。


楽しみにしていてくれた方々に迷惑をかけて申し訳けありませんでした。


少し調子が戻ってきたのでボチボチゆっくりと更新しますので再び読んでやって下さい。



宮田製作所「アサヒ号」については以前、記事にしましたが、新事実が判ったので追加します。


宮田製作所陸王と共に戦前を代表するオートバイ・メーカーでした。


大型車「陸王」小型車は宮田製作所の「アサヒ号」という棲み分けがなされていました。


1933年には「アサヒ号A型」と言う2st 172ccの小型オートバイを発売したのです。(画像なし)


1935年には改良型の「アサヒ号AA型」が発売され、ヒットしました。


このバイクのフレームはパイプではなく、鉄板を曲げたチャンネルというものを使っていたのが特徴でした。


「アサヒ号AA型」 (1938年式)
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「陸王」大型高級少量生産車を狙ったのに対し、「アサヒ号」安価量産車を狙いました。


そのため2stで排気量は172cc4st「陸王」の1/5でした。


エンジン英国製のビリアース・スーパー・スポーツエンジンコピーを搭載していました。

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このエンジンは高性能であると共に信頼性に富み、量産普及に貢献すると共に、「アサヒ号」の軍用化にも

一役かったと思われます。


「軍用アサヒ号」 (1941年ころ)
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エンジンは前傾し、排気量はやや大きいエンジン・ヘッドがアルミに変わり、二次チェーンが右に移りました。

泥濘地走行用にマフラーをアップにし、ヘッドライトが大型化しています。

エンジン前にはバンパーが、後部にはパニア・ケース用のフレームがついています。


この仕様は明らかに偵察(斥候)用の改修ですが、戦闘用の仕様も考えられていた様です。

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こんなバランスの悪い乗り物で戦おうなんてやはり戦争は狂気の沙汰です。


幸い、この仕様は実用化する事なく終戦を向かえました。


戦後は「アサヒ号」は200ccに排気量を増やし製造されました。


「ASAHI DC型 200cc」 (1946年式)

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フレームが今までチャンネルだったものをパイプフレームに変更しています。


「ASAHI DC型 200cc」 (1948年式)

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次第に装飾性が増してきました。(平和になったんですね。 実感 )



DC型の広告ですが左上はDC-L型(オート・レース用レーサー)です。

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レースが出来る様になったのも平和になりある程度、復興した証です。


終戦後「アサヒ号」はフレームが通常のパイプ・フレームになりましたが、戦前のチャンネル・フレーム車

後続各社の手本になった様です。


HONDA 「ドリームD型」 (1949年式)

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2st 98cc 形こそ真似していましたが機構には独自の物を持っていました。

(クラッチとギアチェンジ・ペダルが連動していました。)


丸正自動車 「ライラック ML型」

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4st 150cc 二次減速・シャフト・ドライブ使用。


天下のHONNDAのルーツが「アサヒ号」だったと言うのも面白い事です。


ただし、アサヒ号のエンジン英国製のコピーでした。


また、フレームBMWのコピーだったのでは?と思われます。


BMW 「R32、R35」 (1923~1925年)

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ともあれ、「アサヒ号」は日本のバイクの基礎をなした名車だったと言って良いと思われます。


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