a la recherche du temps perdu

a la recherche du temps perdu

「失われた時を探して。」マルセルプルーストの有名な小説。
何て気取ってみたのは若き日の 
好きだったフランス音楽の
旅をしてみたくなったから。
自分のレーベルでもリリースできたら
しようと思って。
そんな徒然ブログ始めてみます。
そんなブログです。

Amebaでブログを始めよう!
ダリダ。お久ぶりですね。本当に時というものはあっという間に過ぎ去ってしまうものなのですね。9月が終わり10月が過ぎて、何と2015年もあと残すところ今日を入れて2日になってしまいました。許して下さい。すっかりご無沙汰してしまって。
もっともあなたの時計は、1987年5月3日で止まったまま、永遠という時計にその刻みを変えているのだから、僕のこの数ヵ月の流れなんか関係ないのでしょう。もう時の流れや、衰えるという言葉すら何の意味もなさない、そんな永遠という次元にいるのだから。ただ、僕は、あなたの人生を追っていた、僕は、あなたの人生の最後の章をどうしても冷静に見つめる事ができなくてこんなに時が過ぎるのをだまって見過ごしてしまいました。
1987年の5月2日土曜日。その日あなたは、身の回りの世話をしているJacuelineが、友達と夕食に行くという事を知っていて翌日曜日は、休むようにと伝えていましたね。
そして、自分は疲れているのでゆっくり休んで5月4日月曜日のフォトセッションに備えると、マネージャーである弟のOrlendにも伝えていました。誰もがあなたのその言葉をその通りに受け取り、月曜日のセッションの準備に忙しく動いていたのだろうと思います。
あなたは、その日夕食に出かける約束を全てキャンセルし家に戻りました。
もしかしたらこの唄をあなたは口ずさんでいたのかもしれません。

そう。あなたの心の空洞はもはやどうしようもなく埋めることができないまで広がっていたのですね。 僕はこの年、あなたが出演し、そしてテーマ曲を唄ったsixeme jours という映画でのあなたがとてつもなく哀しそうにしているのをどうしても思ってしまうのです。あなたはあなた自身自らの肉体の、そう時が運んでくる容姿の衰えに怯え、その衰えによって失われるであろう”愛”を必死につかもうとしている自分にたまらない暗闇をみてしまったのかもしれません。 1987年あなたが最後に出演したテレビライブ。そこでのsixeme joursに僕は、衰え逝くあなたの容姿と、しかしそれを必死にこらえる見事な迄のあなたの歌唱ににどうしようもない切なさを思ってしまうのです。 この映画でのあなたは、中東エジプトの初老の女性の役です。ある意味であなたはあなたの新たなるページを描こうとして選んだ作品だったのかもしれませんね。でも、54歳という(今の僕より若いのだけれど)その年齢との戦いはあなたのそれまでの人生の中でどうやっても勝つ事のできない戦いになってしまったのかもしれません。 それはきっと、唄そのものからあなたを離してしまったエンターテイメントの世界、スターという名の、その偶像の魔力があなたを粉々にしてしまったからのでしょう。 もし、あなたがバルバラのように唄そのものに自分自身を見つめ直すことがもう一度できたのならば。美しさは、肉体の衰え逝く容姿ではなく、人生がその肉体に刻み込む年輪であるという事を受け入れることができていたのなら..........。 でもあなたのプライドはそれを許さなかったのだろうとおもうのです。でもあなたは唄っていたではないですか。J'attendrai と。 でも、この映像はあなたがこの世を去る10年前。丁度あなたが44歳というまだ男を虜にする美貌絶頂の時だったのですね。 あなたは86年のインタビューで過去の恋愛遍歴をクールに語り、愛なくして生きていけないと言っていました。  

5月2日の夜。あなたは、一人モンマルトルの丘の上の白亜の城=自宅に戻り、真っ白なサテンのパジャマに着替え、ゆっくりと鏡の前で化粧を落とし、その美しいブロンドの髪の毛をとかして自分を見つめたのですね。 そして、白紙の紙に言葉を書き残しました。 ”Pardonnez -moi , la vie m'est insupportable "「 許して下さい。人生は私にはつらすぎる........。」 と。書き終えると予めよういしておいた小さなブーケを添えてテーブルのうえに置き、一瓶まるまるの睡眠薬をウイスキーと一緒に飲み干しました。 その時あなたの目に去来したものは幼き頃のyorandaの姿、ゴンドリアを唄う若きダリダ、ルイジテンコ。そして過ぎ去っていった男達。ジジを唄うDalida,最後にあなたは薄れ逝く意識の中で枕元にあったスタンドの灯りを自ら消したのですね。幼い頃から、眠るときにそのまま目がさめなくて、真っ暗な中をさまようのを怖がっていつも灯していたその灯りを消したのですね。大きな深呼吸をして微笑みながら。ルシアンがほほ笑みながら迎えにきた。。。。
C'est fini..la commedie ......。 Dali ありがとう。
僕はこのブログで, Dalidaの人生を辿っているうちに、どうやらDalidaという一人の人間の虜になってしまったようです。平凡な結婚にあこがれ、子供を産み幸せな家庭と人生をどこかで望んでいた一人の女性。彼女を愛した多くの男達、そして彼女に群がる種々雑多な人間達。 そしてもっともっとダリダの人生を見つめることをしたくなりました。できることなら彼女がこの世から去ってしまってから30年になる、2017年に僕は彼女の愛とその人生を描いたステージを実現することを、僕のプロデュースワークとしてしたいと思っています。遠い日本でですよ。笑わないでくださいね。 それに向けて、来年から準備に入りたいと思います。 僕自身の還暦に向けての目標でもあるのですが。このブログでのダリダへのオマージュはひとまず終わります。
そして、このブログの(7)はDalidaへのお別れではなくて、僕にとってのまた新たなDalidaへの思いの始まりなのです。
A bientout !!  Dali !!