目が見えない…:眼鏡、コンタクトと近視、老眼の話 | 生活メモ

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日日の生活のこと、旅行の記録、読書の記録、韓国のことなどなど。2020年2月26日にコザクラインコのさくらが家族の一員になってからは、毎日さくらのことを書いています。

私は強度の近眼です。

手を伸ばしたくらいの距離は、「遠すぎて」ほとんど何も見えません。

今、ノートPCでこのブログを書いていますが、もし裸眼だったら、キーボードに顔を乗せるようにして書かないと画面の文字が読めません。

 

こんなにひどい近眼になったのは二十代中盤くらいから。

中学から近視になり、高校に入るときに眼鏡を作り、高1の夏からコンタクトレンズを使い始めましたが、二十歳の頃はまだ裸眼でも家の中では特に困りませんでした。

当時は、「近視の進行はは大人になったら止まる」と言われていましたが、成人後もどんどん進行して二十代中盤くらいからは室内でも眼鏡かコンタクトが無いと生活できなくなりました。

手を伸ばした距離が遠すぎるので、当然、裸眼だと足元は何も見えないのです。

 

現在、眼鏡を3つ使っています。

一番古いのが二十歳頃に作った眼鏡、その次が三十歳頃に作った眼鏡、そして一番新しいのが三十代中盤~後半頃に作った眼鏡。

 

一番古い眼鏡は、かけても多分視力は0.1無いくらいです。

近視ではない人は、

0.1かそれ以下の視力にしかならないなら、何のためにそんな眼鏡を使うの?

と思うかもしれません。

 

でも、このブログを書いている今まさに私はその眼鏡をかけています。

実は近くを見るための眼鏡なのです。

近くを見るため???老眼鏡???

と思うかもしれませんが、最初に書いた通り、手を伸ばした距離は、私には「遠すぎる」のです。裸眼では見えないのです。だから、本を読むにもPCを見るにも、裸眼だと普通の体勢では見えない。PCだと上に書いた通り、キーボードに顔を乗せるくらいにしないと見えないし、本もかなり近づけないと読めない。0.1くらいの視力があれば、手を伸ばした距離くらいまでは見えるので、一番古い眼鏡を重宝しています。それに、遠くが見える度が強い眼鏡で近くを見るのはしんどいので、0.1くらいにしかならない眼鏡が近くを見るには最適なのです。

でも0.1あるかないかなので遠くは見えなくて、テレビなんかは見えません。まさに近くを見るためだけの眼鏡。

 

ちょっと前まではコンタクトレンズが大好きでした。と言うか、眼鏡は嫌いで、基本的にコンタクトレンズを使ってきました。

ところが、数年前から老眼が始まり、コンタクトをしていると近くが見えづらくなってきました。

そしていよいよ最近は、近くがほぼ完全に見えなくなりました。

コンタクトをして仕事をしているとき、PCの画面は見えるのですが、キーボードの手前に置いている資料や本を見ようと思っても見えない。メモを書こうと思っても自分が書いた字が見えない・・・

 

コンタクトは簡単には外せないので(外せるけど外すとすぐにはつけられない)、手元の資料が見えないからとその瞬間だけ外すこともできません。

 

ということで、このGWからコンタクトをやめました。まだ保存液が少し残っているので、それが無くなるまではときどき使おうと思っていますが。

コンタクトと老眼鏡の併用というのも考えたし、遠近両用のコンタクトがあるという噂も聞いたのでそれを使うことも脳裏をよぎったのですが、まぁ一回コンタクトをやめてみようか、と。

 

ただ、眼鏡は一番よく見える(一番新しい)眼鏡でももう矯正視力が十分ではないらしく、夕方以降、暗くなると見えにくいので、車の運転用に眼鏡を買わなければなりません。