間接政治は「4年以内に最適」であり「将来最適」には向かない
23.11.8の日経一面を一部転載します
憲法にあるように国会議員は「全国民を代表する」存在だ。
勿論個別利益である「部分最適」の主張が否定されるものではない。
ただ最後は「全体最適」である。その判断をきちんとできるのが政治指導者のはずだ。
現実をしっかり見ながら、将来の国の形を見据え、決断し、説得し、実行する。
判断の物差しは「現在最適」ではなく「将来最適」である。その可否を裁くのは歴史の法廷だ。
・・・・・。現在韓国内では米国とのFTA批准をめぐり激しい反対運動が繰り広げられており、
国を開くことのむずかしさを改めてみせつけている。
もう1つは歴史に学ぶということだ。モデルは幕末である。開国か攘夷で国内は真っ二つに割れた。
・・・近代政治史の坂野東大名誉教授は「開国と攘夷で抜き差しならない対立を棚上げする理念と
なったのが、尊王倒幕と公儀輿論だ。その方向を示したのが西郷隆盛であり、横井小楠だった。
ここに雄藩連合による挙国一致の理念が出来上がった」・・・・・・・
TPPの賛否を超える何かを示してはじめて国はまとまる。以下略・・・転載終わり
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さて、議員が「将来最適」を志向できるものだろうか。四年以内に国民を喜ばせなければ次の選挙
でどうなるかは保証されない。短期的には痛みが伴うが、長期的に国は良くなる・・・というような
ことでは票にならない(と議員は考える)。
大方の国民にとって本当に大切な事は「将来最適」であるのは間違いない。しかし選挙では4年以内の
「最適」を謳い上げる候補者のみであり、「当面痛みがあるが将来最適」を主張する立候補者はいない。
そうであれば、代議制民主主義は「現在最適」を志向するものであり、もし4年後に悪化でもすれば
議員を辞めて(辞めさせられ)責任は消え去る。国民は二階に上がってハシゴを外されたようなものだ。
代議制民主主義の本質は「現在最適」であり、議員にはそれしか眼中にないと言えば言いすぎか。
「将来最適」を選択しなければならないような重大なテーマは国民投票か参政員制度しかない。
なぜならその選択を誤れば、国民各々は責任を免れる事ができない。家族、子孫に重荷を背負わせる事
になるからだ。
当然是か否かについて出来るだけ多くの情報に接して、思考を巡らせる事になる。議員は国民のみではな
く、献金組織や官僚にも配慮した結論を出したいのであるが、国民各自にはそうした圧力には殆ど無縁で
ある。「国民投票は扇動に影響され危険」という向きには、より緩やかな参政員制度があり、最低でも議員
の意思が50%参加できる(予想では議員の意思が七割)