昨日、飲み会に参加して、
昔々、20代だった頃の
職場の飲み会でのことを
思い出していました。
何を思い出していたかというと、
「お酌」のこと。
あの、
人のグラスにお酒を注いであげたり、
注いでもらったりする習慣です。
あれ、
本当に不自由だったなあと。
何が不自由って、
自分が飲みたいタイミングで
飲めないこと!
その当時、
宴会場にあったビール用のグラスって小さめで。
注いでもらっても
あっという間に飲み終わってしまうので、
今飲みたい、
と思う瞬間にグラスの中にビールが
なかったりするんですよね。
かと言って、
周りにいる人たちの手前、
自分で自分のグラスに注ぐのも
はばかられて。
なので、
誰かに気づいてもらうのをひたすら
待たなければいけないという・・・。
それは、
お酒に限らずソフトドリンクに
ついてもその場では同じことで、
自分で自分のグラスに注ごうとすると、
誰かがそれに気づいて、
「気づかなくてすみません!!」
と誰かの手をわずらわせることになり。
そして、
「気づかなくてすみません!!」
ということにならないよう、
自分以外の人の飲み物の減り具合に
ずーっとアンテナを立ててなくては
いけないし・・・。
そうやって気を張り続け、
自分の思うように動けない時間を
過ごしているとめちゃくちゃ消耗するんですよね。
あー、本当に不自由極まりない!!
当時それが大人の社会なのか、
と学習し、不自由だけど仕方ない
と受け入れてきたけれど、
やっぱりそれって嫌だな、
と改めて思います。
「人にやってあげて、
自分も人にやってもらうのを待つ」
というように固定されたこんな関係や関わりは、
何だかベタベタしてて気持ち悪くて。
「人を幸せにしてあげることで、
自分を幸せにしてもらう」という、
自分の幸せを誰かに委ねてしまって
いるような感覚が違和感。
自分が飲みたいなら、
誰かにやってもらうのを待たずに
自分が飲ませてあげればいいし、
他の人だって、
自分の好きなタイミングで自分に
飲ませてあげればいいって
思うんですよね。
それは、
「幸せ」についても同じ。
自分が願う幸せを
誰かに与えてもらうまで待とうとせず、
自分で自分に与えてあげればいいし、
他の人の幸せも他の人に任せて
おけばいい。
でもそれは、
自分だけのことを考えたいっていう
のとは違って、
自分をちゃんと自分で幸せにした上で
他者にもそれを還元して、
自分も他者もみんな幸せがいい
という考えなのです。
お酌って、
面倒くさい、煩わしい、
そんな習慣なければいいのにと
思うけれど、
一方で、
してあげるのも、
してもらうのも結構嬉しいもの
だったりします。
そこに
お互いに大切にし合っている
嬉しさが感じられる時には、
という条件付きですけど。
結局私が好きなのは、
ルールによって自由を制限されないこと、
基本自分のことは自分でやって、
自分で自分を幸せにしてあげつつ、
お互いに思いやりを持つというあり方。
そんなあり方でいられたら、
心がはばはばとして心地よく
いられると思いませんか?
自分の自由とか幸せを守って
あげられるのって自分です。
なので、
いつも自分を幸せにしてあげる
ための努力は惜しまない自分で
いようと思います^^
あなたは、どんなあり方が
お好みですか?
それでは、また!