福岡に来て2年目、福岡市の少し南の外れに引っ越しました。

 

 

化粧品のネットワークビジネスに手を出して、

そして私には無理だとあきらめ、

飲食の会社も辞め、

私には何もなくなってしまいました。

 

大きな企業や会社の一員でいる時は、

バックボーンがあるだけで心強く、

また、周りの目も気にすることなく行動できましたが、

肩書がなくなった途端、アイデンティティの喪失と、

例えば銀行などで新規のクレジットカードを作る事もできず、

自分が本当にちっぽけで、大げさに言えば、

世界に一人だけ取り残された様な気分になりました。

 

しかも、私一人ならなんとかなったかも知れませんが、

母を養っていかなくてはいけない、というプレッシャーもありました。

 

実際は、母がいたおかげで父の遺族年金もあったし、

私の失業保険もあったので、すぐに生活に困ることはなかったのですが、

周りに親戚や友人のいない(福岡にも何人か友人はできましたが)土地で、

何とも言えない心細さを感じていました。

 

しかも、前のマンションは都会にあり、賑やかさと華やかさがありましたが、

今度の場所は、西鉄電車の駅から歩いて15分くらいかかり、

周りも本当に何もないような、寂しい場所でした。

 

ただ、バス停がすぐ近くにあったので、

博多駅に出るには、いつもバスを利用していました。

 

 

そんな状況の中で、飲食の会社を辞める少し前から、

実は、着物の着付けを習いに行っていました、

 

母が、昔はずっと着物を着ていたので、

私も自分で着付けできるようになりたいという思いと、

着付けの仕事でやっていけないかという思惑もありました。

 

福岡では割と名の通った着物学院で、

院長はその頃50代か60代くらいの、

美人だけど、めちゃめちゃきつい女性でした。

 

なんとか、卒業試験に合格した後は、

講師(というより助手)として、他の先生が教える時に、

お手伝いに行かなくてはいけなくて、

もちろん無報酬。

 

時々、一緒に講師になった友人と、

美容院での着付けのバイトをしていました。

 

成人式では、朝5時くらいから、10人ほどの着付けもしました。

 

 

 

ただ、これでは本当に生活できないなと思っていた時、

飲食の時の知り合いから誘われて、

コンパニオンのバイトをすることになりました。

 

しかも、着物が着れるのならばと、和装コンパニオンに。

 

洋装より、和装の方が時給は高く、

着付けを習っていた事が、思わぬ役に立ちました。