福岡に来て2年、母を呼び寄せて1年が過ぎた頃、

福岡市内の別の場所へ引っ越すことにしました。

 

それまで住んでいたマンションは、

福岡市内では一等地にあり、交通の便も良く、

また、周りは高級住宅街が広がり、

おしゃれなお店もたくさんある地域でしたが、

当初、一人暮らしを想定して選んだので、

2DKと、母と暮らすにはやや狭く、

また、色々と考えるところがあり、引っ越す事に決めました。

 

働いている場所からは、かなり遠くなり、

夜、タクシーで帰る事は許可してもらえましたが(タックシーチケット使用)、

会社の寮扱いからは、外されてしまいました。

 

ただ、それも今回の引っ越しの目的でもありましたが・・・。

 

 

この間、5歳年下の大学院生との恋もありましたが、

彼の卒業、東京へ戻るという事で終止符。

 

私は、やはり年上の人が好みで、

この頃から42歳過ぎの人(厄年を終えた人 ・・何か起きないか不安だったので)

しか付き合う気がなかったのですが、

何故か、初めて年下の彼と付き合う事に。

 

そのことも一因で、やはりまた、飲食業(夜働く)という事が苦痛になっていました。

 

その頃、知り合いからある化粧品を勧められ、

使用してみたら、私の肌にあっていて、すごく気に入りました。

 

その旨を伝えると、ある人に会わせたいと言われ、

その知人の化粧品販売の先輩にあたる人の家に連れていかれました。

 

そこで、この化粧品の良さ、化粧品会社の素晴らしさを語られ、

そして、この会社の販売の仕組みも説明されました。

 

要するにネットワークビジネス。

 

一切、宣伝(CM)もしていなくて、店頭でも並んでいない商品で、

各販社から何人かの上部の販売員がいて、さらにその下に販売員が・・・

 

この先輩というのが、かなり上部の販売員さんで、

話が上手く、説得力があり、また信用できる人に思えました。

 

私は、すぐに、この先輩Aさんの 「一緒にいい化粧品を売って、

周りの人を幸せにして、そして自分自身もお金を得て、幸せになろう」

という言葉にうなずき、販売員として活動することに決めたのです。

 

どちらかというと、この人の言葉を信じたというより、

この仕事にすがりたい気持ちが強かったのかもしれません。

 

 

もちろん、まだ飲食の仕事はしたまま、

お休みの日や、出勤前に販社が主催する講習会を受け、

正しい化粧品の使用方法や、お客様に実際にしてあげるマッサージ方法、

また、一番重要な商品の勧め方などを学びました。

 

「今日帰ったらすぐに、何人の知り合いに、この良い商品を勧めますか?」

 

必ずこの宿題を出され、私は熱に浮かされるように、

妹や友人、知人に電話をかけていました。

 

大きな会場で、研修会というものにも何度も参加させられました。

 

この化粧品会社の社長が、自ら東京からやって来る事もありました。

その時は、販社の社長、営業部員はまるでスターに出会ったみたいに

狂喜乱舞、まるで教祖様のような扱いでした。

 

この教祖様、もとい、社長の話は自身の闘病からの復活に始まり

いつもデカくて、皆に夢を持たせるもので、

皆、涙を流して聞き入っていました。

(毎回同じ話なのにアセアセ

 

研修会も、その頃はやっていた地獄の特訓のソフト番の様な内容で、

自分自身を見つめさせ、友情を信じさせ、力を合わせてする困難な作業を成功させて、

そして最後に涙、涙。

 

私はもともと、そういうものには全く動じない所があり、

いつも冷静に眺めて、”ここでは、こう振舞っておいた方がいいかな” と、

客観的に参加していました。

 

そして、やはり、私にはこの商法での仕事は向いていないという事をつくづく知りました。

 

友人や知り合いを無くすのも嫌でした。

 

決して悪い商品ではなく、化粧品自体はみな気に入ってくれるのですが、

その先に進むことはできなかった。

 

こうして、疲れ果て、この仕事からは抜ける事を決め、

でも、飲食の仕事も辞める事を決心しました。

 

福岡に来て2年半、またまた、この飲食の会社を退職しました。

街には秋風が吹き始めていました。