離婚が成立して、今までの会社を退社しました。
結局、色々あって、母や妹のいる家には戻らず、
一人暮らしを始める事になりました。
それでも、婚家との縁が切れ、
本当の自分の家族、母との繋がりで生きていける事に安堵しました。
これからは一人で生きていかなければならないので、
普通のOLでは食べていけないと、
母が仕事をしていた会社の系列店舗で働くことになりました。
ここから飲食業界に入り、長い期間(出たり入ったりはあったけど)
この世界で生きていく事になったのです。
私が働きだした店舗は、その当時はやりだした”パブ”という業態。
洋酒を扱い、ボトルキープというシステムで、
当時その店舗でメインで扱っていたボトルのキープ数が日本一を誇っていました。
お酒のつまみから本格的な食事まででき、
店内は、まるで船底のような造りのお店でした。
中央に白いグランドピアノがあり、
年配で、だみ声のおじさんが、毎日、弾き語りにやってきました。
丸い大きなカウンターが2つと、テーブル席があり、
全部で80名位入れる、割と大きなお店で、
私は白いボウタイのブラウスと、黒のロングスカートというユニフォームを着て、
夕方4時から夜の12時まで働きました。
4時から、5時のオープンまでは、店舗の掃除や開店準備をするのですが、
この時間にかかっていた有線の曲で、何故か天童よしみの曲が記憶に残っています。
45年近く前なので、まだ彼女は売れていなくて、再デビュー曲に力を入れていたのか、
曲名は忘れましたが、いつも同じ時間にかかっていました。
この頃、飲食業界では、週休2日など考えられず、
それどころか、働きだして1年は、2週間に1度のお休みしかありませんでした。
(それまでの会社は、完全週休二日制でした)
そして、12月31日と1月1日のみが店舗の定休日。
12月30日に定時までお店の営業をして、
その後大掃除、終わると朝の4時ごろになっていて、
自室に帰って寝て、大みそかの夜に実家に帰り、
元旦、お節を食べながらテレビを見て過ごし、
翌日から、仕事が始まる という感じで年末年始が過ぎていきました。