痛みの治療をするため入院して酷い目にあったB病院を、12月末で退院して、

翌年1月から緩和ケア病棟のあるK病院への通院が始まりました

 

痛みを軽減するお薬の処方が主な目的で、

当初順調に痛みのコントロールができていましたが、

2月に入り、癌によるイレウス(腸閉塞)で入院、手術

 

20日間の入院後、退院して、また2週間に一度の通院の日々が続きました

 

痛みはどんどん強くなり、薬(モルヒネ)もパッチと飲み薬の併用で、

量も増えていきました

 

それにつれて、母の体力や思考が弱まり、

ウトウトしたり、ボーとしている事が多くなりました

 

私は、週3で、車で30分程のR社に通い、

それ以外は、自宅近くに事務所として借りたワンルームの一室で、

土日も問わず、仕事をこなしていました

 

そして、その合間に料理を作り、お洗濯やお掃除をして、

また週に1回は、夕食を一緒に食べるなど、彼との時間も作っていました

 

母の状態が悪化していく中で、私がR社に行っている3日間、

日中、母を一人にしておくことが心配で、

デイサービスに行ったらどうかと、母に確認してみました

(母は、以前の院内骨折(大腿骨骨折)により、要支援2程度でした)

 

母は最初渋っていましたが、「一度見学に行ってもいい」と言ったので、

母を連れて、最寄りのデイサービスに連れて行き、

そこでの過ごし方の説明を受け、しばらく見学していました

 

でも、帰ってから母が一言、

「絶対、あんな所行きたくない」

 

母は認知症ではなく(薬による軽い認知はあったと思いますが)、

また人見知りのため、お年寄りが子どもの様に、

みんなで一緒にお遊戯をしたり、歌ったり、

体操をしたりする様子を見て、腰が引けたみたいです

 

仕方ないので、県内に住む下の妹に3日間の内、2日、

朝、私が出勤する頃から、夕方4時頃まで来てもらう事になりました

 

この頃私は、朝9時半頃から6時までの勤務時間を、

朝10時から5時までにしてもらっていたので(本当に融通の効く会社でした)

母を一人にする時間は、妹が帰ってから、

私が家に帰り着くまでの約1時間半だけとなりました

 

しかし、問題は妹の来れない残りの1日

 

母は「心配しなくても、一人で大丈夫だから」と言い張りましたが、

やはり心配だったので、訪問で1日ヘルパーさんに来てもらう事に

 

そして、その日のお昼ご飯だけ、宅配のお弁当を頼む事にしました

 

 

ヘルパーさんは、とても優しくて、感じの良い女性で、

ちゃんと毎回、連絡帳に母の様子を書いてくれていました

 

でも、母は、その人が来る(他人が来る)という事で、

部屋の掃除をしたり、その人のためにお茶やコーヒーの準備をしたり、

そして、何かおしゃべりしなくてはと、

結構気を使っていたようで、だんだんと疲れてきてました

 

お弁当も、最初は「すごく豪華で、おかずがいっぱいあったよ」と、

喜んでいて、絵まで描いて教えてくれましたが、

食欲もなくなってきたこともあり、「美味しくない」と、

大半を残すようになりました

 

そして、痛みも酷くなってきて、ヘルパーさんの相手をする事が億劫になったようで、

とうとう、「もうヘルパーさんに来てもらわなくてもいい」

「かえって、疲れるから」

 

”ヘルパーさんに気を使わなくてもいいし、痛かったら寝ていていいんだよ”

と言っても、もう来て欲しくない、一人で大丈夫だから の一点張り

 

そして、お弁当も、もういらない

自分の食べたいものを少しだけ食べれればいいからと

 

結局、一人だけになる日のお昼は、レンチンするだけでいいように、

おかゆや雑炊、そして温泉卵(母の大好物でした)などを用意しておくことに

 

また、県外に住む妹も、月に一度、4~5日程度泊まりがけで来てくれました

 

こうして、妹二人に支えられながら、

母の癌の痛みへの戦いの看護を続けていました

 

月日は、夏も終わりに近い、8月半ばとなり、

年明けから始まった我が家のマンションの大規模修繕も、

終わりに近づいていました