母の痛みは強くなり、貼るタイプ(パッチ)の痛み止めに
自分ではできないので、私が母の身体に貼り付けます
最初は、24時間タイプで1日1回でしたが、
これも1日に2回になり、そのうち飲み薬も併用するようになりました
やはり薬が強いせいか、ぼぉーとする事が増え、
お昼間はテレビを見ながらウトウトして、
そして夜になると寝れなくて、毎晩、眠剤も飲んでいました
母が眠剤を飲んで、もう寝るねと自分の部屋に行くと、
私もやっとホッとして、リビングでテレビを見ながら寛ぐ事ができます
そして夜12時過ぎ頃、私も寝ようと思い、
寝る前に母の部屋を覗くと、
母はベッドの横にもたれかかったまま、
あるいは、鏡台の前の椅子に座ったまま、
寝ている事がよくありました
倒れたのかと思い、驚いて声をかけると、
眠剤が効きすぎて(モルヒネとの併用なので)、
ベッドにたどり着く前に寝てしまったようです
「眠剤は寝る直前に飲むようにって言ったでしょ」
「眠剤を飲んだら、他ごとをしないですぐにベッドに入って」
ついつい、声を荒げてしまいます
この頃の母は、頼りなく儚げで、まるで幼子のようでした
(と、私が勝手に思い込んでいました)
そして、必要以上に母に手をかけ過ぎていました
一人でも、歩いて近くの眼科や美容院へ行けるはずなのに、
心配で、必ず、私が連れて行っていました
ある日、私が仕事用のマンションで仕事をしていて、
お昼時に間に合わず、自宅に帰ると、
母が慌てた顔で、「ちょっと失敗しちゃった」
何だか焦げ臭いなと思っていたら、案の定、お鍋が焦げていました
煮物をしようと鍋に火をつけたまま、ウトウトしていたようです
「私がちゃんとお昼ご飯作るって言ったでしょ!」
「火事になったらどうするの!」
つい強い口調で言ってしまいました
「ごめんね、だけど、お母さんも自分で好きなものを作りたかったから」
母が病気になるまでは、私は仕事中心の生活で、家の事をほとんど何もせず、
母がずっと家の事、家事、炊事、
そして私の身の回りの世話などしてくれていました
なので、長年やってきた家の事は、自分でできると思っていた
母の気持ちもすごく分かります
でも、この時、母の辛い気持ちを思うより、
火事になったらどうしたらいいか、ばかり考えていたので、
母に、二度と火を使わないようにと釘をさしました
ある時、痛み止めの薬が調剤薬局で足りなくて、
翌日、届けてくれることになりました
次の日、私は仕事に行く日だったので、母に念を押しました
「今日、〇時頃、薬局の人が薬を届けてくれるから、お願いね」
仕事中、携帯が鳴りました
調剤薬局からです
「今お宅にお伺いしたのですが、どなたも出られません、
何かあったらいけないので、ご連絡しました」
私はビックリして、自宅に電話を入れましたが応答なし
母の携帯に電話しても、つながりません
何度か電話していたら、やっと母が出ました
「お母さん、今日薬局の人が来るって言ってたのに、
どうして出なかったの」
すると、驚く答えが
「〇〇ちゃん(他県に住む妹)がお墓まりに行くから、
一緒に連れって行ってもらってた」
妹の旦那さんはとても信心深く、こちら方面に来る機会があると、
必ず、私たちの父のお墓へもお参りに行ってくれていました
朝、私が仕事に出かけた後、妹が母に電話して
「今からそちらに行くから、ついでにお墓に行くけど、
お母さんも一緒に行く?」
母はすぐに、「行く」と答えたらしい
とりあえず、無事が分かったので、薬局にお詫びの電話をして、
仕事の帰りに私が薬局まで取りに行きました
家に帰ってから、私は母にまたまた強い口調で怒ってしまいました
「どれだけ心配したと思ってるの?」
「薬局の人にもすごく迷惑かけたんだよ」
妹にも電話しました
妹は、
「お母さんにお墓に行くか聞いたら、一緒に行きたいって
それで最初は何も言わなかったけど、帰りがけに、
”今日本当は、薬を届けに誰か来る事になっていたけど、まあいいや”
って笑って言ってたから、大したことないと思っていた」
そして、
「お母さん、あまり外に連れて行ってあげてないでしょ
久しぶりに遠出してドライブをして、気分が良くなったって言ってたよ」
私なりに色々と気を使い、一生懸命してあげているのにと、
ショックで頭にきたけど、
でも、よく考えたら、全部自分の都合でしている事ばかり
母の事を本当に考え、気持ちを分かってあげていたのかと
少し反省しました