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Dillon(ディロン)の神様視点スピリチュアルブログ

目に見えない世界のメカニズムや法則を解説するスピリチュアルブログ。

仏教では、

 

 

愛別離苦(あいべつりく)

 

 

と言って

人間が必ず経験する

苦しみの1つとされています。

 

 

 

 

愛する人と別れる苦しみは、

 

 

誰もが経験する

 

 

という意味です。

 

 

 

 

恋人との別れ、

 

 

親族との別れ、

 

 

師匠との決別だったり、

 

 

愛する土地との別れだったり。

 

 

 

 

中でも死別は

自然な感情として

とても悲しかったり

寂しかったりしますね。

 

 

まして自分の過失や、

至らなさなどで

愛する人を死なせてしまった、

 

 

と、思われる場合は、

 

 

一生悔やんでも

悔やみきれないものが

あるでしょう。

 

 

 

 

また、

 

 

原因も、理由もわからずに、

病気や事故などで

最愛の人を突然亡くしてしまう

 

 

苦しみなど。

 

 

 

 

特に親が先に逝くという悲しみは、

万人共通で誰もが

いつか必ず経験します。

 

 

 

 

しかし、

この世的には、

 

 

いかなる理由にせよ、

 

 

あの世に逝ったということは、

今回の魂を磨くカリキュラムが

すべて終了した

 

 

ということで、

卒業という事でもあります。

 

 

 

 

善人として生きた魂であれば、

あの世では、すべてから解放され、

 

 

 

 

この世とは比べ物にならない

自由で幸福感に満ちた

生活をすることになります。

 

 

 

 

残された者からすると、

 

 

まだ若かったのに、なぜ??

 

 

とか、

 

 

なぜあんな善い人に限って

こんなことに??

 

 

など、理解に苦しむ死別は

多々あります。

 

 

 

 

しかし、

身近な人の死は、

 

 

生きている人に

多くの、そして深い気づきの

きっかけを与えます。

 

 

 

 

人によっては、

特定の人に

何かを気づかせるために、

 

 

人生計画として

早く亡くなることを

はじめから決めて

生まれくる人もいます。

 

 

 

 

この世を生きるという事は

けして当たり前ではない

 

 

という事だったり、

 

 

 

 

大切な人を失うことで、

残された人の、これからの人生に

改革をもたらす意味があったり。

 

 

 

 

あの人の死を

無駄にしてはならない

 

 

という言葉をよく耳にしますが、

 

 

 

 

人が亡くなる

という事をきっかけに

 

 

 

 

漫然と過ごしていた日々を

振り返り、

 

 

生きるという意味を

深く考えさせるきっかけになることは、

 

 

間違いないでしょう。

 

 

 

 

いくら、

亡くなった後に霊存在として、

いつも自分の側に居る

と、知っていても、

 

 

最愛の人の

姿が見えなくなり、

直で話をすることは

できなくなるわけですから、

 

 

寂しい思いは必ずありますし、

 

 

喪失感がないと言えば

嘘になりますよね。

 

 

 

 

ここで、

大事なことは、

 

 

亡くなった人は

本当の自由を手にした

 

 

という事です。

 

 

 

 

どのような人生だったとしても、

 

 

どのような死に方だったとしても、

 

 

この世での

役目を終えて、

 

 

修行から解放された

 

 

という事です。

 

 

ここ最近でこそ、

楽しんで生きよう!という価値観が

ようやく浸透してきましたが、

 

 

現実問題として、

そんなスローガンが出ること自体、

 

 

誰もが

 

 

この世を、生きにくく、苦しいもの

 

 

という認識を前提にしている

とも言えます。

 

 

 

 

つまり、この世を生きるとは

大変なことだと誰もがわかっている。

 

 

 

 

食べ物を調達しなければ

死んでしまう。

 

 

お金を稼がなければ生きていけない。

 

 

安全に生きるために、

集団の中で

我慢をしなければならないストレス。

 

 

暑い、寒い、の辛さ。

 

 

病気による痛み。

 

 

老いによる不安。

 

 

愛する人との葛藤。

 

 

 

 

たくさんの課題があり、

 

 

~ねばならない、が

根本的にこの世から

なくなることはありません。

 

 

 

 

しかし、あの世では

 

 

食べなくても

永遠に生きていけます。

 

 

波長の合わない人は

法則によって近くには寄ってきません。

 

 

思ったことは

即現実に目の前に表れてきます。

 

 

ですから、

大往生(立派な死に方、長生きした)

ではなく、

 

 

病気であっても、

 

 

事故であっても、

 

 

自殺、他殺であっても、

 

 

死者個人の立場からすれば

 

 

早く上がって、

 

 

この世の縛りから

完全に解放された

 

 

と、考えれば

盛大に祝賀会をしても

良いくらいです。

 

 

現実的には、たとえば

 

 

父が亡くなり、

巨額の借金の負債が

降りかかってきたり、

 

 

故人に対する

愛が深かったゆえに

寂しい気持ちが強かったり、

 

 

自分が生きる上で

負担が増えることも

あるかもしれません。

 

 

 

 

それらを

全てひっくるめて

 

 

この世に生きる者にとって

学びがあり、

 

 

故人には、故人なりの

亡くなり方と、タイミングに

意味があった

 

 

と、言うことなので

 

 

すぐには

その意味がわからなくても

 

 

けして

ネガティブにとらえず、

人生をより深く考える

糧にしていってほしいと思います。

 

 

 

 

また

故人もはじめは

自分が死んだことが

認識できませんし、

 

 

受け入れることが

できないのが普通です。

 

 

ですから、

残された人が

 

 

必要以上に執着すると、

 

 

故人が次の倖せな世界へ

進むことの妨げになります。

 

 

むしろ

残されたこの世の人が

霊界知識を学んで

 

 

この世への執着なくすよう、

 

 

「あなたはもう亡くなりました。

これから安からにあの世での生活を

楽しんで下さい。

私たちは

しっかり倖せに生きていきますので

安心して下さい。」

 

 

と、あの世への誘導が

できればベストですね。

 

 

 

 

こちらは見えなくても、

霊存在となった故人からは

私たちを見ることができるので。

 

 

 

 

生き様で、

安心させることが

何よりも供養になります。

 

 

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