伝わるか伝わらないかの違いは
どこにポイントがあると思いますか?
それはズバリ!
『思い』です。
それは、単に届けるお客さんのこと
を考えることは
プロとしては当然ですが、
その『思い』がどのようにして
『念い』として影響力を持つようになるか
お話していきます。
クォリティの面で言えば、
ディテールなど細かい部分に
どれだけこだわるか、
という部分も、
表面の意識外のところで
影響を及ぼします。
たとえば、
宮崎駿監督は当然、
作品のあらゆる面で
こだわりますが、
アニメは背景の描き方で
クォリティがわかると言っています。
ジブリアニメの背景は
美しいことで有名ですが、
単に上手いとかきめ細かいだけでは
ありません。
ジブリ以前の『アルプスの少女ハイジ』
では、背景のロケハンで、
実際スイスに約1年間行ったことは
有名です。
リアリティの追求ですね。
これも、単に唯物的な
リアリティの問題なら
写真で充分のはずですが、
描く人、創る人が実地に行って
物語の舞台を肌で感じることが
大事なわけです。
仮に、実際の景色や建物とは
違う絵を背景として
描く場合にも、
実はこの
肌で感じたことや
体感した磁場エネルギーなどが
描く絵、作品に
乗り移っていくわけです。
そこを、受け取る側も
頭ではわかっていなくても、
感じる感覚に響いてくるので
入ってくるわけです。
思いが、『ディテールにこだわる』
という事で念が乗っていきます。
しかし、では
ディテールなどこだわりすぎて、
リアルそのまんまを、
単に物質的に表現すれば良い
というわけでもありません。
漫画の背景などでも、
最近ではリアリティの追求思考から、
背景写真をスキャンして
加工したり、単にトレースして
作業効率化を図ることが流行っていますが、
これでは、
いわゆるコピペみたいなもので、
作者の世界観が伝わらないわけです。
手塚治虫は
キャラが着ている服の模様を
スクリーントーンと同じ柄に
したい時、
普通の漫画家なら
そのスクリーントーンを
貼り付けるところを、
あえて
アシスタントに、
トーンそっくりに手描きを
させていたそうです。
手描きにこもる念や、
微妙なムラ、ズレなどが
受け手を飽きさせない効果がある
ということを、
無意識に知っていたのでしょう。
『ナニワ金融道』の作者、
青木雄二は、背景すべて
フリーハンドで描くことで
有名です。
青木雄二は唯物論者で、
このようなスピリチュアルな話を
一切否定するような
人物でしたが、
手描きすることで、
絵に念がこもって力を発揮する
という事は経験則から
わかっていたのでしょう。
背景を描く際に、
定規を使って描いた方が
きれいに描けるのは当然ですが、
そこをあえて全てフリーハンドで
描くところに、
漫画家の熱量が込められるわけです。
一般の読み手は、
ストーリーを追ったり、
キャラ、吹き出しに意識が
いくのですが、
実は無意識に、
熱量のある背景情報を
受け取っているため
その世界、その世界観、想念に
入り込んでしまうわけです。
スクリーントーンばかりの
漫画は、一見絵がきれいに
見えますが、
すぐに飽きてしまいます。
また、心に入ってきません。
スクリーントーンは、
無機的、機械的に
イラストの網掛け、柄などの補助を目的に
道具として、作られたもので、
その物語のために、その1コマの絵のために
描かれたものではないからです。
そこに念の違い、
熱量の違いがあるわけですね。
技術は、お客さんに、
より伝わるようにするための
あくまで補助道具であって、
技術さえ備えていれば
売れるか、評価されるか、
といえば、そうではありません。
以前、記事でも述べましたが、
技術だけの場合は、
「すごいね」
で、終わってしまうだけです。
名を馳せる人は、
外から見える評価されている部分は、
ほんの氷山の一角に過ぎず、
陰の努力、こだわり、
そこに至る迄の
手間暇、労力の蓄積の方が
膨大にあります。
何かがヒットすると、
たいがいの後発組は
表面的なことをパクりますが、
自分の成功を
確かなものにしたいなら、
この見えない努力と、
念を込める部分を
パクりたいものですね。