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Dillon(ディロン)の神様視点スピリチュアルブログ

目に見えない世界のメカニズムや法則を解説するスピリチュアルブログ。

「人はしあわせになるために生まれて来る。」

これは最近の
スピリチュアルの世界、
精神世界で

よく使われる言葉です。


この言葉は、
不幸と思われる経験を感じやすい人や、

生きる意味がわからない人、

苦しみのどん底にある人、

この世に対して悲観的に
考えてしまいがちな人

などにとっては、
救いの言葉になっています。



しかし、

人間が考えるしあわせと

神様が考える
人間のしあわせとは

ちょっと価値観が違います。


もっと言えば、
この世の意味や認識についても
人間と神様では
まったく違う見方をしています。



人間が考えるしあわせとは
何でしょうか。

人、物、事に満ち足りて、
不愉快なことなく
喜びの中を生きること

と思っていませんか?


身内に不幸がなく、

お金に困ることなく、

欲しいもの、したいことも
制限なく自由に得られたり、

良い人たちに囲まれて
生きること。


こうなれば
人間としてはこの上ない
しあわせと感じるのは
普通といえば普通です。


ですが、

神様からすると、
それはあくまで人間の都合です。


神様が考えるしあわせは、

魂の成長、人間の進化です。


この世というものは、
劇のステージであり、

ボクシングや格闘技の
試合のリングとして存在しており、


生きている人間とは、


上演中の俳優たちであり、

試合中の選手なわけです。


演劇が終われば拍手喝采を受け、
演じ切った充実感が得られます。


格闘技の試合が終われば、
相手を互いに称え合い、
闘い切った燃焼感があります。

勝ち負けは別として、
試合後の休息がまた
格別なものになるでしょうし、


勝利を得たり、

タイトルを獲った時は
当然最高潮のしあわせを感じるはずです。


その幸福感の由来は、
自分がここまで成長できたんだ!
という確信でしょう。



しかし、
演劇中や試合中には、そのような類の
しあわせはないでしょう。
無我夢中でしょうからね。


それは人生も似ていて、

たまに休息はあっても
基本的に試合中であるので、
安らかな幸福感は
ないのが当たり前です。


でも、

そのステージ上で
全力で無我夢中で
やり切る、生き切ることが

なによりも
成長につながるわけですよね。


その成長を
神様は人間にとっての
しあわせと考えているわけです。



そして、
あの世に帰ると、

この世で受けた苦難を
正面から乗り越えたその自分の頑張りと

その様子を見ていた
霊人からの拍手喝采で

この世で味わう幸福感の
何十倍の幸福感を味わうことに
なるのです。




この世とは、

そのように一時の
演劇中、試合中であるため、


だからこそ、
何もかもが自分の
思い通りになりません。


なんの抵抗もなければ
成長がありませんから。

出来レースや絶対勝てる相手とやる
練習試合では何の意味も
ないですよね。



ですから、

そこは踏まえておく
必要があります。



思い通りにならず、
予期せぬ不幸が起こって、

こんなはずはない、
しあわせになるために生まれてきたのに!

と、思っても、
それはちょっと違うという事です。

この世はそういうものではなく、

嫌な事、苦しい事、
思い通りにならないことを
経験した時に、


そこから何をつかむか、

何を学ぶか、

その経験を
自分の成長にどう活用できるか、

のチャンスを得ることが、

神様の考える
人間にとってのしあわせです。



だらりと寝っ転がって
何不自由なく、暮らす


行きたい所へ行き、
気の合う人仲間とだけ
楽しく飲んだり、笑ったりして
生きることは


憧れの暮らしでもあります。


そういう人生を
選ぼうと思えば実際できます。


ですが、
それはあの世、つまり
霊界に行けばいくらでも
できる生活なわけです。


元々そういう生活をしていた中で、
ずっとこんなじゃつまらないなー
と思い、

人はこの世に生まれてみよう!

と思って、
親を選んだり、計画を練り、
大変な手続きを通って

この世に
赤ちゃんとなって
出てきたわけです。

それなのに霊界と、
さして変わらない生活をしていては、
もったいないですよね。


魂の記憶をなくして
生まれ変わることは
やはり大変なリスクですから。



この世に生まれてくる意味は、

心地よい環境でしあわせを享受する
こととは真逆で、

極端に言えば、
自分といかに気の合わない人間と
出会えるか?

なのです。

「こんな人も世の中にはいるんだ!
こんな自分と合わない人と共生していくには
どうしたら良いんだ?」

が、学びであり課題として
生まれてきているわけです。

あとは、

こうしたいけど、なかなか実現しない、

これをどうするか?
の過程で得られる

智慧、行動、思考、感情そのものこそが
宝物となります。


あいつの事が気に食わない

じゃあ、どうやって
付き合っていこうか?

あいつを好きになるとしたら
どんな付き合方をしたら良いか?


付き合わないようにするには
どうすれば良いか?

など、
自分が選択していくその中で

だんだん神様に近づいていく、

神を目指して
人は魂磨きをしている、

とも言えます。


そこで、気にくわない奴は
殺してしまう

抹殺する

絶縁する

排除する

だけでは、魂の成長には
なりませんよね。

神様はそんな選択を期待して
人と人とを出会わせているわけでは
ないのです。


そういう人は、人生が終わり
霊界に戻った時に言われます。

「あなたは、成長するチャンスを
全部自分で潰してしまって、
もったいなかったですね」

と。


ですから、

苦労礼賛をするわけでは
ありませんが、


人よりも苦労が多い人ほど
神様から愛されているとも
言えるのです。


片親もしくは両親がいなかった

貧しい家庭に育った

小さい頃いじめられっ子だった

人と馴染めず孤独だった

五体満足ではなかった

家族に犯罪者が出てしまった

愛した人に裏切られた

など、

自分の努力だけでは
どうにも解決できない問題で
苦しい思い、悲しい思いをした人は

それだけ、

魂の磨きのチャンスを
神様からもらえている
ということです。


ですから、
いま、順風満帆にいっている人は
ただひたすらに感謝を。
感謝は次なる幸運を呼びます。


苦難の向かい風にある人は
今こそ魂の磨きをかける時!
この問題をどう捉えて、
どう自分の成長に変えていけるか!
これぞワクワクの大試合だ!

と思うようにしてみて下さい。


この世には成長・発展・進化
という名のしあわせのために
生まれてきます。


そして
その個人のしあわせが周りや世界の
大調和につながり広がることを
神様は望んでいます。