念仏を唱えると救われる
という教えがありますが、
これも一歩間違うと
努力も頑張りもしない人でも
成仏できる
という考えになりがちです。
お釈迦様の教えは
日々の精進だったのですが、
その悟りのレベルにまでいかない
多くの人はどうしても理解できず、
安易で楽な方向に進んでしまうのかもしれませんね。
確かに、
悪いことをした人はもう救われないのか…
と思うと絶望しますし、
下手をすれば
ひらきなおってハチャメチャなことを
やりだす人もいますよね。
ですから、
念仏を唱えれば神仏の力で救われる
と思えば気持ち的には救われます。
しかし、
実際のところ
宇宙の法則はそんなに甘いもんじゃありません。
お釈迦様にしろ、
他力本願を説いた親鸞聖人にしろ、
ちゃんと自分の探求を
徹底的にやっているんですよね。
お釈迦様は6年間、
親鸞聖人にしても叡山で20年
厳しい修行をしています。
その徹底的な修行の
行き着いた答えが中道であり、
念仏を唱えるという教えになったのですが、
これを何も修行も精進もしていない人が
結論だけ取り入れて生きた場合どうなるか。
それは単なる平凡人にしかなりませんよね。
それに悪いことをしても
念仏さえとなえれば救われるとか、
ちゃらんぽらんに生きて
それを中道と解釈していたら間違いですし、
悪人にもなりかねません。
やっぱり、自分を成長させたり、
人のお役に立つような人財になるためには、
まずは自分を徹底的に磨く期間が必要だ
ということですね。
それがなくしては、
心の自由は得られない。
本当の自由は得られない。
結論、結果だけを先に得ても意味がないということです。
と、いうわけで
私も常に凡事徹底、基礎、基本を
地道に磨いていこうと思っています。