根源的なテーマです。
近年、
昭和時代の、
「組織のために自己犠牲して頑張る精神」
に代わり、
「自分のために生きよう」
という価値観が
主流になりつつあります。
世相を反映すると言われる、
アイドルの歌詞にも、
「ジコチューで行こう(自己中心的に生きよう)」
という文言が
入るほどです。
しかし、
一見、自由で、
解放感のある
この価値観や思想。
真面目で頭が固い人が、
ストレスマネジメントの1つとして
使うのは賛同しますが、
意外に悪用?(笑)というか、
わがままな行動をする時の
隠れ蓑に
使われていることも
少なくないので、
私はあえて
時流に反して
「警笛を鳴らす必要があるのでは?」
と思っています。
なぜなら、
この世における『人生』とは、
ただ、
『自身だけが楽しむこと』
『自分だけが幸せになること』
を、目的としていないからです。
歌詞に
ありのまま
自分の思うように
好きに生きよう
との言葉を入れると流行るのは、
近年、
過労やストレスで
鬱病になる人や、
周りを気にし過ぎて
自殺を選択する人が多い為でしょう。
そこまでいかなくても、
日本人は、
素晴らしい才能を持った人でも、
周囲を気にして
宝の持ち腐れをすることが多いので、
自分の殻や、
リミッターを外したり、
気持ちを楽にさせる
効用と需要を考えて、
自己中心を推奨する
歌詞であることは
よくわかります。
しかし、
実際、
この言葉を盾にして
周りに迷惑をかけていても
ヘッチャラな人が
増えているのも現実です。
そもそも、
周囲に合わせて
苦しんでいる人のほとんどは、
本当の意味で他人のことを
考えているわけではなく、
不調和を起こすこと
に対する
『ビビリな心』
だったり、
『嫌われたくない』
という自己保身の為に
周囲に合わせていることの方が
ケースとしては多いです。
動物の生き方
であるならともかく、
人間の『人生』は、
自分の幸せだけの為に
生きるようには
創られていません。
神様は
そのように設計していないのです。
では、
何のために生きるのか?
答えは簡単です。
1、自分自身(魂)を磨いて輝かせるため。
2、この世の発展繁栄(人々の幸せ)のため。
の2つの掛け合わせです。
この2点を伸ばすために
人間は「この世」という
荒波へ生まれ出てきます。
「人は幸せになるために
生まれてくる」
とも、
スプリチュアル界では
よく言われますが、
その幸せとは、
「自分だけ平和で
好きなことを自由にしていれば良い」
という
ことではありません。
たとえば、
ニートとなってゲームにハマり
ネット廃人のようになったとします。
本人は、毎日ゲームばかりしていて
一見、幸せのように思えます。
「本人が楽しくやってるなら
いいんじゃない?」
「誰に迷惑かけているわけじゃ
ないんだから、文句言われる筋合いはない」
と考える人もいるでしょう。
しかし、
そこには、
自分を磨いて、世の中に貢献する
という
先に挙げた2つの観念がありません。
本人たちからすると、
「オンラインで繋がっている
ネット上の人たちは貢献している」
「ゲームのスキルを上げることも
自分を磨いていること」
と、いうかもしれません。
しかし、
ゲームなどはあくまで、
商売を目的に人間が作った
『小さな架空の世界』
に過ぎないのです。
架空の世界での
幸福感は、
人間性を磨くどころか、
むしろ劣化させてしまいます。
そんな世界にハマることを
神様は許していません。
その証拠に、
ネット、スマホ、ゲームを
やり続けると、
理性を司る脳(前頭前野)が
退化していき、
記憶力や思考力などの
能力的なものから
さらには感情や意欲まで低下する、
という科学的な検証結果が
今次々と出てきています。
脳トレというゲームを
監修した大学教授であっても、
スマホのやり過ぎは
(子供の脳の発達が止まるので)
強制的に抑えた方が
未来にとって幸せだと考える
と、言っているのです。
実際、私が今まで
会ったことのある、
ゲーマー(自称含む)
と呼ばれる方々は、
仕事や人間関係で
問題を起こすことが
非常に多く感じました。
タチが悪いのは、
彼らは、それらの問題行為を
「常識から逸脱している」
とは、これっぽっちも
思っていないことです。
参考
このような事例を
振り返ると、
ゲームで
脳や感情が侵されている為、
巡り巡って
世間に迷惑をかけている
とも言えるでしょう。
またスピリチュアル視点で見ても、
自己中心的な生き方は、
本人の人間性を堕落させ、
結局は、
周囲に迷惑をかけて、
親しい人を悲しませます。
人間が生きる
ということは、
それだけで責任が
発生しているのです。
まず、生まれる時に、
お母さんがお腹を痛めます。
その後は
両親が大変な思いをして
世話をします。
その過程で、
幾万もの動植物の命を
食べながら(奪いながら)
成長しているわけです。
そして
周囲の大人、友人、知人に
助けられながら
大人になっていきます。
既にある世界の
すべての恩恵を
それだけ受けていながら、
自分中心に生き続けて
良いわけがありません。
誰にも迷惑をかけないなら
何をやろうが、
どんな生き方をしようが
構わないという考え方は、
神様に反しています。
その考えの下に、
自分の人間性や脳を、
退化させていることを
神様は悲しんでいるのです。
自己中心的な生き方は、
人間としての品性を失い、
野獣に向かっていく道と
いえるでしょう。
自分だけ好き勝手に
生きていると、
人間に備わっていた高度な知能が
失われるという法則は、
『神の意に反したら、
人間は人間でなくなる』
ということを
意味します。
ゲームに限らず、
快楽ばかりの人生は、
実際に脳を破壊するのです。
人間は
楽しいことをすると、
ドーパミンという、
幸福を感じる物質が
分泌されます。
これがたくさん
分泌されることは良いことですが、
分泌されすぎると、
理性を司る脳が衰えていき、
本能を司る脳が優位になります。
そうなると、
キレやすい、我慢ができない、
物にあたる傾向が出てきて、
記憶力、思考力、判断力などの
現実処理能力が
目に見えて悪くなります。
ちなみに、
我慢はストレスの元凶で、
我慢ばかりしていると
病気になりますが、
まったく我慢をしない人生だと、
脳の能力が落ちていきます。
適度な我慢は、
理性脳、知性脳を発達させるそうです。
昔の親は、
「遊んでばかりいないで
勉強しなさい!」
と言っていました。
また、
勉強しないと◯◯してあげない
と言った交換条件で、
子供に我慢させるのは
当たり前でしたが、
実はそれが子供の脳の発達に
大きく好影響していたわけです。
こうした
脳の傾向から逆算して
考えてみても、
人間は、
快楽=幸福
になっては
いけない存在なのです。
結論は、『中道』ですが、
楽しいだけでもダメで、
適度なストレスは、
人間の動物化を
回避させ、
理性脳を発達させて
いたわけですね。
そういう意味でも、
苦しいことを我慢することには
意味があるというわけです。
その苦しいことを我慢して、
修練を重ねた先に、
人は、人間性、理性、知性、感性、
が進化があります。
そして、
個人の魂を磨くことと、
世界の発展・調和に
貢献する
という、
神様から見た
人生の目的と、
本当の意味での
成功を得ることが
できるです。

