この世はまるで
不公平?と思えるように
人それぞれ生まれ落ちた環境が違います。
その最たるものは
やはり健常者として生まれずに
生まれながらに
何かしらの障害をもって
生まれてくるケースです。
障害とは別に
生まれつき持病、つまり
何かしら病気を持っている場合も
そういえるでしょう。
本人からしたらそれこそ
「私がなんの悪いことをした?」
「なぜ私だけ?」
という気持ちになるでしょう。
人生は
この世に生まれ落ちると
それまでの記憶がすべていったん
忘れるようにできているので、
なぜそのような境遇に生まれたのか
死ぬまでわからないようになっています。
ただ、
結論を先にいうと
障害をもって生まれる方は
人間修行が進んでおり、
本人の意識としても
この世での修行に
ストイックな意識を持たれて
生まれてきたと
いえるのです。
スピリチュアルの世界では
「前世で〇〇の罪を犯したからです」
と、確認できない過去世の行いを
原因として説明されることも多いです。
確かに
過去世で戦争などを体験し、
自分の意志とか関係なく
相手の目をつぶしてしまったり、
腕や足を切ってしまったり
という経験をして
その後悔や反省、
居たたまれない気持ちなどから
今度は自分が
盲目で生まれきたり、
腕、足に障害を持って生まれてる。
そうした経験をすることで
少しでも懺悔の念を
軽くしたい人も多いようです。
しかし、
いずれにせよ、
障害や病気を持って生まれる
ということは
本人は覚悟の上で出てきます。
ですから
人間的には非常にハードな
修行を選択したということが
推察されます。
個人的にはそれだけでも
凄い立派な決意、判断をされて
尊敬するところですが、
普通の人よりも
一歩厳しい修行をしているということは
それをクリアした時には
通常の人生を複数回転生したのと
同じくらいの魂、人格の飛躍が期待できるのです。
まれに
肉体的な事故のような因果で
障害を持って生まれてくる
ケースもありますが、
その場合であっても、
人智を越えた創造神の意識レベルで
「この経験、この修行は
この人間なら必ず耐えられる」
「この人間にはこの修行が必要」
という判断のもとに
そのような運命になるので
一般的に不遇と思われる
障害をもって生まれても
そこで不平不満を思わずに生きるだけで
魂の修行度合が人の数倍も上がります。
また他には、
本人の修行も去ることながら
世話をする家族や周りの方の
修行のために
そのような役を買って出ている場合もあります。
実際、本人より実は
周りの方の様々な修行の意味の方が
むしろ大きい場合があります。
障害者の世話をする
ということは、
周りの人が
本物の愛、利他業、慈悲、献身の心を
養うための意味が非常に強いのです。
余談ですが、
今の若い人は
生まれながらに生活水準も高く
少子化時代も相まって
自分のためだけに生きるのが
当然という価値観で生きています。
しかし、
そういう人が多くなると
どうなるかというと、
因果の法則で、
高齢化社会により
いずれ自分の親の介護を
やらなければならなくなります。
つまり結局は
自分以外の誰かの世話をする
という修行を
やらざるを得なくなるわけです。
この仕組みは神様が
「けして自分のためだけに
生きてはいけないよ」
というメッセージを
法則の中に入れているから
そうなるんですね。
人の世話とは元来
大変、面倒、お金がかかる・・・
様々な苦労をしますが、
それらはすべて人として
結局 『愛』 の心を持ち、
それを磨くためにあるといえるです。
すべての人に共通する
人生の普天的なテーマが
そもそも
「愛とはなんぞや?」
を学ぶためのものですから、
逃げても逃げても
いつか必ず取り組まなければ
いけない修行ともいえます。
障害者の家族の世話を
されている方は
「普通の人の何倍も効果のある
修行の機会をいただいている」
と思ってどうか頑張ってほしいと思います。
そのような厳しい人生修行をクリアした時の
魂の向上の度合は半端ないですから!