既存の宗教の教えや
スピリチュアル系でも、
また日本人の一般の気質としても
「欲」というものは
悪しきものととらえられています。
仏教においても
いかに我欲を抑えるか、
欲の執着を断つか、
という方向へ人は導かれます。
これは人類の
大部分の人間が我欲に溺れることで
自分の人間性の品格を落とし、
他人への同情心もなくし、
とどのつまりは死後、
醜い姿になり魂の停滞を招くからです。
神様はそうなりがちな人間を
抑制するために宗教や道徳において
「欲に走るべからず」
という教えをこの世に散りばめられているのです。
しかし、
これに当てはまらない人たちもいます。
それはあまりにも欲がなさすぎる
善い人たちです。
世の中を観察すると、
我欲が過ぎて、事業に失敗したとか、
投資が外れたとかで多額の借金を負う人もいますが、
中にはそうではなく、
本人はまったく無欲でお人好しがゆえに
人になけなしの金を貸して
踏み倒されて苦境に立たされたり、
親の負債を受け継いだり、
誰かの連帯保証人になって裏切られたりして
借金返済におわれる人も割といます。
客観的にみると、
「あんなに善い人なのに借金地獄だなんてかわいそうに」
と、思いますし、
お金の使い方が悪い、
人を見る目がない、
計算ができない、
…といった現実世界の原因は当然ありましょうが、
スピリチュアル的に見ると
不思議なことにこのタイプは
本人の無欲がゆえにそうなっている面があります。
こういう善い人タイプの人は
元来誠実ですから
「借金を返済しなければならない」
という責任感から
お金をなんとかして稼ごう
と必死に頑張るわけですが、
逆を言えば、
そうでもないと必死で頑張ろうとしない
とも言えるのです.。
この「必死で」というところがポイントです。
神様というのは
この世で人間が必死で頑張っている姿を
見たがっているんです。
ある意味そのために
人間に生きる本能以外の
「欲」をプログラミングしたとも言えます。
普通ならその欲があるおかげで
「金持ちになりたい」→「お金を稼ぐには」→「働く」→「もっとお金欲しい」→「そのためにはもっと大きなビジネスをやろう」…
と知恵と行動を
フル発動して人は頑張ります。
ですが、この欲がうすい人は
人間の魂的にはよくできていて
善人としても素晴らしいのですが、
神様がこの世で見たい人間の姿、
つまり「必死で頑張る姿」に
なかなか、ならない人たちでもあるんです。
そこで神様はそういう
欲のない人向きに、そういった誰かの借金を
背負わせることで
返済のために頑張るように
している部分もあります。
ですから、
そうした視点で考慮すると、
どうせ必死で頑張るなら
返済なんていうマイナスをゼロにするためのものではなく、
しっかり自分にもみんなにも
プラスになる方向で頑張りたいですよね。
「欲」自体は良い悪いではなく、
神様が人間を走らせるための
目の前のニンジン的な役割を持っている
ということです。
そしてニンジンに対する欲がない人は、
お尻に火をつけられることで嫌でも
走らざるをえなくなるので、
そういう人には借金を背負わされる前に
逆説的に「欲」をどんどん推奨しても良いわけなんですね。