「人生には無駄が無い。」
という言葉を聴いたことがありませんか?
人生で起こることにはすべて必ず意味がある
と。
先の話で障害を持っているか否かは別としても、
世に中の人間関係には必ず
「おもりされる側」と
「おもりする側」という図式があります。
もちろん、
「持ちつ持たれつ」
のように、交互にその図式が入れ替わる場合もあります。
しかし、今あなたが
個性の強いやんちゃな人に振り回されているとしても、
そこにはそれなりの深い意味があります。
ヘレンケラーとサリバン先生のように、それぞれの使命と役割があるはずです。
いびつで出っ張りの強い個性は
その溝の部分を埋めたら普通の人よりも
何倍も大きな円となる大器であるとも考えられるのですから、
長所を伸ばす方向へ誘導しながら
気長に
気長に
誘導しながら見守る必要があります。
そしてその気長に気長に世話をするという側にとっても
その根気は
必ず魂を磨く貴重な機会になっているはずです。
個性の強い魂は
当然あちこちでぶつかるでしょうから、
人間関係も不安定になるでしょう。
そういった個性をサポートしなければいけない立場にいる魂は
その個性を包容するだけの
より大きな器を持っていなければそれができません。
どちらの人生にとっても
並大抵のことではありませんが、
そこに普通の人生では学べない
高次な「愛」という性質を磨く機会があります。
人生の苦しみと見える現象はすべて魂を磨くために存在します。
スピリチュアルの視点から見ると
現実世界の大変さや苦労は
人間の器を大きくするための砥石です。
その証拠に、
皆さんの10年前の悩みを思い出してみてください。
きっと今なら
「なんだ、あんな小さなことで悩んでたのか」
となるはずです。
器がでかくなりすぎた人にとっては
もう当時何で悩んでいたかも忘れているかもしれませんね。