完璧にしないと![]()
そんな思いに縛られていません![]()
傍から見たら何でそここだわる?
ってことだったりもします![]()
『思い込み』なんですよね。
”今までもそうだったから
これからもそうしなければ”![]()
義理の祖母は誕生日が近づくと
ソワソワ、ピリピリ![]()
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その理由は![]()
私が住んでいるブルガリアでは、
誕生日は本人がゲストをもてなす
という文化があります![]()
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日本では割と
「誕生日=お祝いされる日」
ブルガリアでは
「誕生日=人をもてなす日」
だから義理の祖母にとっては、
“完璧にこなすべき日”
掃除もしておかなきゃ![]()
料理は十分あるだろうか![]()
祖父が何かやらかさないか![]()
ゲストは親族一同、仮に何か
あっても大したことない間柄。
それでも起きぬことを心配し、
不安に飲まれてしまうのです![]()
それ、誰のため?![]()
プレッシャーとストレス抱える
誕生日ならしなくて良くない![]()
レストランで行ってもいいし、
常識に囚われず親族が祝う形に
してもいい、と思ってしまう。
…そんな提案をしても、彼女には
「こうあるべき」という
“ネバならない”が根を張っている![]()
それが当たり前の世界にいると
”そうでしかない”けど、
ちょっと視点を変えてみれば
”そうでなくてもいい”
日本で考えてみると、お土産や
引越しの挨拶など手土産の文化
がありますよね。
ブルガリアの誕生日文化も
気持ちとしては近いのかも![]()
でもそれが「やりたい」ではなく
「やらなきゃ」になっていたら、
そこに気持ちはないんですよね。
日本の手土産もブルガリアの
誕生日も、文化は素敵だけど
義務になってしまうと本末転倒![]()
義理の祖母は、料理が得意で
おもてなしも好きだからこそ
「ちゃんとやらなきゃ」
「失敗できない」
って、どんどん肩に力が入ってる。
とはいえ、どんなに頑張っても、
祖父の行動やゲストが思うことは
コントロールできないんだよね。
自分のコントロール外のことは
どうにもならない。
自分の不安をコントロールする
ことならどうにでもなる。
不安を思考で考えても
解決しない![]()
だったら、ふーっと一息ついて
「私、今なにが不安なんだろう?」
って自分に聞いてみてほしいよ![]()
まとまらない時は紙に書いたり、
誰かに話して言語化してみる!
無料カウンセリングで話したら
それだけでふわっと軽くなること
ありますよ![]()
ということで、
【今日のチャレンジ】
あの人が、こうだったら、と
思っていることの主語を自分に
向けて視点を変えてみよう。
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それでは、ごっきげんよぅ![]()
ありがとうございました![]()
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