「普通」って何だろう?
というテーマについて書くにあたって
今回は、私のことを少しお話したいと思います。
★
私は生まれつきの聴覚障害があるため
3歳から、発話の訓練、読み書きの訓練を受け
かなりのスパルタで辛い体験でした。
辛かったけれども
結果として、発話をして意思表示ができたり
こうして文章の読み書きができたりすることは
大変ありがたいことだと思っております^^
小学校から大学までは
健常者と同じ学校に通いましたので
先生の話が聞き取れず
授業についていくのが大変でした。
ガリ勉はダサい、と思っていたから
人前では不良ぶっていたりしたけれど
人の見ていないところで
こっそり勉強したりしていました(笑)
そんな感じでしたから
お料理もほとんどしたことがありません^^;
もともと母が料理のプロなので
なにしろ手際がいい。
短時間で何品も
パパッと作ってしまう人でした。
手伝おうとしても
顔が見えないと話が聞き取れないというハンディもあり
母の指示が聞き取れなくて
反応がどんくさくなってしまう。
スムーズにコミュニケーションができないから
母がイライラして怒る、ということもあって
手伝うことを意識して避けていたような気もします^^;
母に怒鳴られるのが苦痛だったから(笑)
そんな感じで
本格的にお料理をするようになったのは
一人暮らしを始めてから^^
けれど当初は、
お仕事や人間関係で神経を使いすぎて
帰宅後はお料理をする体力も気力もない…
ということもしばしば。
そして、ある日
ダウンしてしまいました。
休職。
ハンディを抱えて仕事をするということは
大変なことだけれど
これまでの努力を無にしたくない、という思いを
捨てきれなかった。
「ハンディを抱えているから
この程度の仕事しかできないだろう」
という世間のレッテルに屈したくなかったのです。
あきらめたくなかった。
聞こえないと情報が不足しがちので
どうしても
知らないことが多くなるんですよね。
健聴者のように
無意識に耳から入ってくる情報は知らない。
その無知を自覚しているからこそ
意識して知識を吸収しようと
頑張ってきたのかもしれません^^
けれど
「ワークライフバランス」という言葉のとおり
仕事とプライベートの両方をバランスよく楽しめるよう
エネルギー配分をすることが大切だなぁ
ということを休職を経て、痛感しました^^
だから今は
ハンディを抱えている分
無知だったり、できないことが多かったりするけれど
プライベートを圧迫しない程度に
自分なりのペースで
努力していこうと思っています^^
★
そんなこんなで
お料理は、この年齢になっても
レパートリーも少ないですし
知らないことも多く
万年初心者のような感じです(笑)
でも、こんな風に
お料理ができることが
本当の幸せだなぁと
あらためて感じます。
1つ1つ、お料理を覚えてゆく過程は
達成感と自己成長感があって
楽しいんですよね。
こんな風にささやかながらも
自活できることがとても幸せなんです^^
★
ずいぶん前置きが長くなりました(笑)
本題。
「普通」ってなんでしょう?
何が「普通」なんでしょうね?
実はこの言葉
個人的にはあまり好きではないのです^^
日本人は
「普通」の部類に入りたがる民族のようですが
一人ひとり、違う。
性格も環境も
ライフスタイルも価値観も
十人十色。
世間一般の尺度からみると
生まれつき「普通」ではないとされる私は
どんなに努力しても
「普通」の人間になりたくてもなれないわけです。
そんな中で
「人と違う」…というよりも
「劣っている」というコンプレックスなど
さまざまなネガティブな感情と戦いながら
育ってきた気がします。
五体満足な方々でも
「普通」からはみ出ないよう
必死になっているという話を聞くと
気持ちは分かる気はします。
誰でも
孤独になるのが怖いのですね。
けれど
そこを乗り越えてほしいのです。
一人でいる時の孤独よりも
人の中にいる時に感じる孤独の方が
猛烈につらいものです。
孤独を感じないようにするために
「普通」になろうと必死になっても
潜在意識はいつも不安なままです。
潜在意識にある不安を乗り越えるためにも
自分の心とじっくり向き合い
不安の正体について
考えてみることではないでしょうか^^
自分という核が
しっかりとできていれば
他人と違っていても
苦にならなくなります^^
私も
自分にしかない人生を
自分なりの歩みで楽しみつつ
感謝と笑顔で
生きてゆくつもりです
★
まとまりのない文章で失礼しました^^
最後までお読みいただき
ありがとうございます
皆さまも
心豊かな日々を過ごせますように
というテーマについて書くにあたって
今回は、私のことを少しお話したいと思います。
★
私は生まれつきの聴覚障害があるため
3歳から、発話の訓練、読み書きの訓練を受け
かなりのスパルタで辛い体験でした。
辛かったけれども
結果として、発話をして意思表示ができたり
こうして文章の読み書きができたりすることは
大変ありがたいことだと思っております^^
小学校から大学までは
健常者と同じ学校に通いましたので
先生の話が聞き取れず
授業についていくのが大変でした。
ガリ勉はダサい、と思っていたから
人前では不良ぶっていたりしたけれど
人の見ていないところで
こっそり勉強したりしていました(笑)
そんな感じでしたから
お料理もほとんどしたことがありません^^;
もともと母が料理のプロなので
なにしろ手際がいい。
短時間で何品も
パパッと作ってしまう人でした。
手伝おうとしても
顔が見えないと話が聞き取れないというハンディもあり
母の指示が聞き取れなくて
反応がどんくさくなってしまう。
スムーズにコミュニケーションができないから
母がイライラして怒る、ということもあって
手伝うことを意識して避けていたような気もします^^;
母に怒鳴られるのが苦痛だったから(笑)
そんな感じで
本格的にお料理をするようになったのは
一人暮らしを始めてから^^
けれど当初は、
お仕事や人間関係で神経を使いすぎて
帰宅後はお料理をする体力も気力もない…
ということもしばしば。
そして、ある日
ダウンしてしまいました。
休職。
ハンディを抱えて仕事をするということは
大変なことだけれど
これまでの努力を無にしたくない、という思いを
捨てきれなかった。
「ハンディを抱えているから
この程度の仕事しかできないだろう」
という世間のレッテルに屈したくなかったのです。
あきらめたくなかった。
聞こえないと情報が不足しがちので
どうしても
知らないことが多くなるんですよね。
健聴者のように
無意識に耳から入ってくる情報は知らない。
その無知を自覚しているからこそ
意識して知識を吸収しようと
頑張ってきたのかもしれません^^
けれど
「ワークライフバランス」という言葉のとおり
仕事とプライベートの両方をバランスよく楽しめるよう
エネルギー配分をすることが大切だなぁ
ということを休職を経て、痛感しました^^
だから今は
ハンディを抱えている分
無知だったり、できないことが多かったりするけれど
プライベートを圧迫しない程度に
自分なりのペースで
努力していこうと思っています^^
★
そんなこんなで
お料理は、この年齢になっても
レパートリーも少ないですし
知らないことも多く
万年初心者のような感じです(笑)
でも、こんな風に
お料理ができることが
本当の幸せだなぁと
あらためて感じます。
1つ1つ、お料理を覚えてゆく過程は
達成感と自己成長感があって
楽しいんですよね。
こんな風にささやかながらも
自活できることがとても幸せなんです^^
★
ずいぶん前置きが長くなりました(笑)
本題。
「普通」ってなんでしょう?
何が「普通」なんでしょうね?
実はこの言葉
個人的にはあまり好きではないのです^^
日本人は
「普通」の部類に入りたがる民族のようですが
一人ひとり、違う。
性格も環境も
ライフスタイルも価値観も
十人十色。
世間一般の尺度からみると
生まれつき「普通」ではないとされる私は
どんなに努力しても
「普通」の人間になりたくてもなれないわけです。
そんな中で
「人と違う」…というよりも
「劣っている」というコンプレックスなど
さまざまなネガティブな感情と戦いながら
育ってきた気がします。
五体満足な方々でも
「普通」からはみ出ないよう
必死になっているという話を聞くと
気持ちは分かる気はします。
誰でも
孤独になるのが怖いのですね。
けれど
そこを乗り越えてほしいのです。
一人でいる時の孤独よりも
人の中にいる時に感じる孤独の方が
猛烈につらいものです。
孤独を感じないようにするために
「普通」になろうと必死になっても
潜在意識はいつも不安なままです。
潜在意識にある不安を乗り越えるためにも
自分の心とじっくり向き合い
不安の正体について
考えてみることではないでしょうか^^
自分という核が
しっかりとできていれば
他人と違っていても
苦にならなくなります^^
私も
自分にしかない人生を
自分なりの歩みで楽しみつつ
感謝と笑顔で
生きてゆくつもりです

★
まとまりのない文章で失礼しました^^
最後までお読みいただき
ありがとうございます

皆さまも
心豊かな日々を過ごせますように
