大分県で起きた2歳の女の子が行方不明になっていた事件。

行方不明になったのは母親の自作自演で
女の子は雑木林で遺体で発見されるという
悲しい結末になりました。

殺していない、と母親は言っているそうですが。

仮にそうだとしても
亡くなった我が子をどうして捨てるのでしょうか?

怒りと悲しみが溢れてきます。

聞くところによりますと
お子さんは足に障害があったとか。

もしそのことを気にしていて
子供の将来を懸念することは
親なら誰でもあると思います。

でも、亡くなったことを隠すということは
世間体を気にしていたということですよね?

母親の資格などありません。


私事で恐縮ですが
私の母親のことを少し書かせていただきます^^


私は、生まれつき
重度の聴覚障害があります。

なかなか言葉をしゃべらない、振り向かない…

といったことから
周囲が「耳が聞こえないんじゃないの」と指摘し
いくつかの病院で検査した結果

先天性の感音性難聴と分かりました。


その時、母親は
当然ショックを受けたそうです。

そして
自殺しようとしたそうです。


その時
赤ちゃんの私と目が合い…

無垢な笑顔で笑っていた。


母は

小さな私を見て


「私が死んだら
 この子は誰が育てるんだ?」


「私がいなくなったら
 この子が可哀そうだ」


…と、我に返って
自殺を思いとどまったといいます。


この話は何度か聞かされてきましたが
私が大人になってだいぶ経ったころ
ふと気づいて聞いたことがあります。


「自殺しようと思ったっていうけど
 どうして私を殺さなかったの?」


いえ、別に
私が死にたかったってわけじゃないですよ(笑)

確か、当時も子殺しの事件があって
その話題をしていた時だったかと思います^^

母はあのとき自殺しようとしたけれど
私を殺さなかった。

その理由を聞いてみたわけです。


「私を殺そうって思わなかったの?」

「うん。そんなことまったく頭になかったわ。
 死にたいって、そればっかり考えてたかも。」

「もし本気で死ぬんなら、私も殺してから
 死ぬんじゃないの?(笑)」

「だって、そんなことしたら
 人殺しになるじゃない(笑)」



母はそういって笑いました。


殺さなかったのではなく
殺せなかったのです。


それが、正常な親の感覚です。


このエピソードを思い出すたび
私は、母の強さに感謝します。


母の口癖でした。


「子供を育てるのは親の責任」



そう。


昨今では

安易にできちゃった結婚したり
安易に子供を生んだり
安易に離婚したり

親になる、ということを
軽く考えすぎると思います。


あるいは妊娠中に
子供に障害があると分かったら
堕胎するケースも多いそうです。

堕胎に関しては
さまざまな意見があるとは思いますが

この世には一定の確率で
障害がある子供が生まれるそうです。

障害がある子供も
この世界の調和のために
生まれてきているんです。

必要とされているから
生まれるんです。

無駄な命など
何ひとつありません。

大人のエゴで
殺していいはずがありません。


子供を生むということは
神様から授かった命を
預かるということ。

どんな子供であっても
障害があったとしても
育てる責任があるんですよ。


自分が楽になりたいために
子供を殺したり捨てたりするような
身勝手な行為をする人間は
親としての資格がありません。


命を粗末にしないでください。


すべての命は
神様からの授かりものなのです。


亡くなられた女の子のご冥福を
心よりお祈りいたします。




あらためて
私をここまで育ててくださった
母親の強さと苦労に
心から感謝しつつ。





重い記事&長文で恐縮でした^^;

最後までお読みいただき
ありがとうございましたスキ


…追記…

私は無宗教です^^
ここで書いている「神様」とは
特定の宗教の神ではなく
宇宙やこの世界を創造したもの
それを神と呼んでいる感じでしょうか^^