みなさんの知っている動物園にも、それはそれはたくさんの動物がいますが、
外国からやって来た、あるサーカスの一座にも、いろいろな動物がいました。
大きな象や白熊、めずらしい虎やチンパンジー、愉快なロバにアヒル、猛獣のライオンや豹、
そのほか、サーカスには大勢の動物がいました。
 そして、街中の子供が自分達の住んでいる街にそうした動物達がやって来て、
大きなテントの中で楽しいショウを見せてくれることを心待ちにしていました。
 そのサーカス一座に、サミュエルという名の一人の男の子がいました。
 サミュエルのお父さんもお母さんも、そして、お兄さんもお姉さんも、みんな、
サーカスの団員だったので、サミュエルは産まれた時から家族全員で、
いろいろな国のいろいろな街を訪ね、世界中を周わり、
サーカスの公演を手伝って暮らしていました。
そうして、いつもたくさんの動物たちに囲まれ、愉快な仲間と一緒に暮らしていましたが、
彼は人間のお友達にはあまり恵まれていませんでした。
 なぜなら、サーカス公演のために世界中の国々を周わっていたので、
学校も世界中の国々の街から街へ、転々と周わっていたからです。
 いろいろな国のいろいろな街の大使館へ行き、時には言葉が通じる子供もいたので、
サミュエルにも お友達ができることがありました。
ですがそれは、とても短い間で、すぐにお別れの日が来てしまいました。
そして言葉の通じない国では、サミュエルはいつも独りで遊んでいました。
 ある日、街外れの小川で、夕暮れ時まで石投げをしていたサミュエルは、
しばらくして、少し腕が疲れてしまったのでしょうか、
夕映えの河原に座わり込み、小川のせせらぎを見つめていました。 
 
「…おじさんも、ちょうど君くらいの歳の頃、やっぱり友達はいなかったんだ」
「どうして?」
「長い間 病気をしていたのさ。だから学校にも行けなかった」
「それで、病気は治ったの?」
「ああ。大人になったら治ったよ。それでおじさんは大きな街へ出て 
いろいろな仕事をしたんだ。そしたら友達も大勢できたよ」 
 
 サミュエルは、フランス公演の時に出逢った人で、
強盗団の一身だった瞳のきれいな男の言葉を想い出していました。
 そんな時ふと脇を見ると、
いつのまにか、一匹の黒い小さな猫が自分の側で鳴いていることに気がつきました。
 サミュエルは、その捨て猫を一座のテントへ連れて帰り、ミルクを与えました。
 すると、サーカスの座長である彼の父親が云いました。
「サミー、空中ブランコの特訓はどうした? 猫と遊んでいる暇はないぞ!」
「うん、判ってるさ。でも、何か芸を仕込めば仲間に加えられるでしょ」
「いいや、猫は気紛れ過ぎるから、猫ほど芸を仕込むのが難しい動物はいないよ」
「じゃぁ、黒豹にあずけてみようよ。
あいつ、この間、子供が死んじゃったから寂しがってるんだ。きっと喜ぶと思うよ」
「いいや、猫は猫。豹は豹だ。それにうちの豹は、ちゃんと自分の覚悟を決めて生きているぞ。
…お前にもそのうち判る時がくるだろうが、動物も全部一緒ではないんだ。
お父さんはな、ショウに出演させる動物を買いつける時も、決して間に合わせで選んだりはしない。
覚悟を決められる奴かどうか、それを確かめてから仲間に入れる。
その猫はこの国で産まれて、この国で生きて行く宿命を背負った捨て猫だ。
一緒に連れて行くことはできないよ。
ただな、お前に友達が出来なくて辛いことも判るよ。だから今すぐ捨てて来いとは云わない。
…あとは自分で決めなさい」
 こうして、拾われた小さな黒猫は、“一座が次の国へ移るまでの数か月の間だけ”という約束のもと、
彼等の飼育する黒豹の隣の檻の中へ入れられました。そして、その黒猫は、ジミーと名付けられました。
 しばらくの間、ジミーはサミュエルに懐いていましたが、
夜になって眠る時は毎日、黒豹の側にいたので、まもなく、
小さな黒猫ジミーは、その黒豹を自分の親だと思って育ちました。
 数週間後、やがてその街から、サミュエルのサーカス一座が立ち去る日が来ました。
 その朝、サミュエルは別れを惜しみましたが、覚悟を決めました。
 人通りの多い駅のカフェテラスの前、それまで7歳の子供の腕の中に
しっかりと抱かれていた黒猫ジミーは、東西に行き交う雑踏の舗道へ降ろされました。
そして、立ちあがったサミュエルは云いました。 
「きっとまた来るからね。それまで元気で待っててね。
来年の春、必ずまた、この街に戻って来るよ。…じゃあね」
 目の中にいっぱい涙を溜めたサミュエルが、その場を走り去ると、
空から、ぽつりぽつりと春雨が降り始めたました。
 街に残された小さな黒猫ジミーは、サミュエルのあとを少しだけ追いかけましたが、
慌ただしく行過ぎる人々の足元にサミュエルの姿が見えなくなってしまうと、
足を止め、朝の街並を眺めていました。
    
 そうして、駅へ向かう たくさん人や車の音が、朝も昼も騒々しく流れてゆきました。
ですが、誰一人として、ジミーの姿には気づきませんでした。
 雨の日の夕暮れ、お腹を空かせた捨て猫ジミーは、
通りの片隅にあったジュースの空缶をひっくり返し、
中から零れる雨水がすべて流れ出ないうちにペロペロと嘗めました。すると、
脇を通りかかった一台のトラックが泥水を撥ね、黒猫ジミーは薄汚い恰好になってしまいました。
 ジミーは濡れた体をブルブルさせて、体中の水気を揺さぶり落としました。
ところが、何を思ったのか、
泥まみれのジミーは、少し先の赤信号で停まっていたトラックを見つけると、
勢いよく駆けて行き、その荷台へ翔び乗りました。
 ジミーは確かに猫でしたが、しばらくの間、身のこなしがしなやかな黒豹と一緒にいたので、
きっと、その習性が身についていたのでしょう。
 こうして、黒猫ジミーは白い小さなトラックの荷台に揺られ、
どこか知らない街へ向かって行きました。
    
 長く、しとしとと降り続いた雨あがり、
ジミーを乗せたトラックは、高層ビルが立ち並ぶ大都会へ到着しました。
 泥だらけの体もすっかり雨に洗われ、トラックの荷台から降りたジミーは、
とてもお腹が空いていたので、何か食べ物を求め、今度は見知らぬ街を彷徨いました。
 まだ小猫だったジミーにとって、雨あがりの冷たいコンクリート・ジャングルには、
いろいろな臭いや騒音がいっぱいで、
見る物、聞く物のすべてが初めてのものばかりでした。
その中で、これから一匹の孤独な存在が、どうやって生きて行けばいいのでしょうか。
それは、誰も教えてはくれません。
ただ、ビルの谷間を吹き抜ける風が、生きることへの厳しさを教えるように、
容赦なく路面に叩きつけていました。
そして、小さな黒猫ジミーは、猫の世界の言葉でこんなことを云っていました。 
    
「あ~ぁ、お腹すいたな。道路の向こうから何かいい匂いがしてくるけど、
黒い足がグルグル回る変な形の大きな箱が行ったり来たりしてて、なんか怖いよな。
あれは僕が走った時よりも速そうだぞ。檻の中にいたお母さんはどうかな? 
まぁそんなことより何か食べなくちゃな。
よし、今度はこっちへ行ってみるか…」 
    
 期待と不安でいっぱいのジミーは、少しだけしなやかな足取りで大都会を徘徊し、
やがて、幾つか餌場となるゴミ置場や水呑み場を見つけ、
自分の縄張りも持ち、鼠の追いかけ方も覚え、
他の野良猫との喧嘩も強くなりました。
 こうして、三年の月日が流れ、黒猫ジミーは中くらいの猫に育ちました。  
    
    
    
    
 長い尻尾を翻し、しなやかな足取りで歩く黒猫ジミーは、
ネオン街の外れにあった公園のそばの歩道橋の下に住んでいました。
 都会の片隅にいた野良猫はジミーだけではなく、他にもいろいろな色をして、
いろいろな大きさや性格の野良猫がたくさんいましたが、
仲でもジミーだけは群を抜いて美しい黒い毛並で、豹のような目をした脚の長い雄猫でした。
そしてどの野良猫も喧嘩をしてジミーに敵う者はなく、
ジミー以外の雄猫は、街でジミーの姿を見かけると、
必ず一歩 後ろへ下がり、一目を置いていました。
 ですが、黒猫ジミーは誰に対してもボス面をするようなこともなく、
弱きを助け 強きを挫く、野良猫中の野良猫でした。
 そんなジミーに憧れるたくさんの雌猫がいたことはもちろんですが、
若い雄の野良猫達も、ジミーを慕い、憧れ、尊敬し、
いつか自分達もジミーのような“ワイズ・ガイ”になることを夢見ていました。
 中には、ジミーのことを “健さん”と呼ぶ者までいて、もしも余所から来た何者かが、
ジミーの行く手を阻めば、進んで命を張って、ジミーの助太刀に参上する野良犬までいるほどでした。
   
 そんな黒猫ジミーの噂は一つの街にとどまらず、街から街へ、
やがては世界中の野良猫界に広まってゆきました。
 その“ネオン街の黒猫ジミー”の名を世間に知らしめたエピソードの一つには、
例えば、こんなこともありました。
 ある日、ネオン街の裏通りから少し奥へ入った住宅街のゴミ置場で、
いつものように昼食を済ませたジミーが、
民家の塀の脇のドブ板の上を、いつものようにしなやかな足取りで歩いていました。
すると、塀の上にいた近所の飼い猫で、ある三匹の雌猫が、
その優美な姿を見かけ、お話ししていました。 
   
「ねぇ見て、ジミーさんよ。カッコイイわねぇ!」
ペルシャ猫が云うと、真ん中にいたヒマラヤンの雌猫が、
「そうねぇ、憧れの的よねぇ。でも野良猫っていうのが…ちょっとぉ…ねぇ」
すると、その隣にいたシャム猫が云いました。
「そういえば、この間、家の中でテレビっていうのを観ていたら、
私たち猫の恰好と同じ感じの黒い色の生き物が出て来たの。
ちょっと怖い顔つきだったけど、それがどこかジミーさんに似てたのよね。
彼はああゆう生き物の血筋を引いているのかしら…」
「それ、豹っていうのよ」
「豹?」
「そうよ、うちにチベットから贈られて来たっていう剥製があるわ」
「あら、ヒマラヤンさんのお宅も!?」
「えっ、ペルシャさんちにも黒い豹の剥製があるの?」
「うちは玄関に置いてあるわ。と云っても豹じゃなくて虎の敷物だけど…。
でもそれがまた気持ちわるくって!」
「どうして? まさか、動いて吠えるわけじゃないでしょ」
「まぁね、床にベターっと伸ばされてて、暗くなると呻き声を上げる…なんてことはないけど。
その虎の敷物はね、頭の中だけに詰め物が入っている剥製なの。
それがね、どうも頭を撃ち抜かれて殺されたらしいのよ」
「頭を撃ち抜かれて?」
「ええ、その時の猟銃っていう道具も、うちにあるんだけど。
それでね、先日どこか遠い街から黒い着物を着て眼鏡をかけた小柄なお爺さんがやって来てね。
うちの飼主がね、その虎を自慢げに見せてたのよ」
「ああ、あの人間のオバサンね、猿みたいな顔の…。それで?」
「そうしたら、その、ものごし静かで小柄なお爺さんが虎の頭に手をかざしてね、
何か云いながら自分の手と傷跡がある虎の頭の間に、うちの飼主の手を入れさせたのよ」
「それで? どうなったのよ」
「うん、その時は何もなかったようなんだけど、後になって飼主の手が赤く腫れ上がってしまってね。
もう何か月も経つのに治らないわ。…ね、気持ち悪いでしょぉ!」
「そお? 気の持ちようだと思うけど」
「でもぉ…」   
    
 三匹の雌猫が、そんなお話をしていると、背後から大きな布袋を持った人間の男が忍び寄り、
その飼い猫達を捕まえようとしました。
 三匹は突然の怪しげな訪問に慄き、逃げ出しましたが、
世間知らずのシャム猫だけは逃げ遅れて捕まってしまいました。
袋の中に押し込められたシャム猫は己に降り懸った災難に驚き、ギャーギャーと喚きました。
怪しい人間は袋の中の猫を叩き、沈めようとしましたが、猫は一向に鳴き止みません。
すると、その鳴き声を聞きつけた黒猫ジミーが、さっき通り過ぎたはずの道を戻って来て、
その悪人に翔びかかりました。
男は激しく抵抗しましたが、ジミーの爪は普通の猫とはちょっと違います。
 みるみるうちに、人間の顔は血だらけになって、今度は自分が泣き喚くはめになりました。
そこへ、白い自転車に跨がった一人のお巡りさんが偶然に通りかかり、
他人の庭先でジタバタと もがき苦しんでいた男を見つけ、職務質問しました。
 男は、数週間前まで、街外れにあったペットショップに勤めていましたが、
子猫を買ったお客さんの苦情により店をクビになり、
その腹癒せに、世の中の飼い猫という飼い猫を盗んで売り捌こうと企んでいた、
心の汚れた人間だったのです。
 こうして、交番に連れて行かれた猫泥棒は、ジミーの活躍によって投獄されました。
それ以来、黒猫ジミーが“猫社会の英雄”と謳われたことは云うまでもありませんが、
いつしか街中の野良猫から野良犬に至るまで、はたまた、
いつになっても使われない地下鉄の穴という穴の暗黒街に住む大きな鼠や
公園の鳩や港町のカラスまでも、黒猫ジミーに敬意を払うようになりました。
 そんな、人間の知らないネオン街には、“ブラックパンサー連合会”なる組織まで勝手に作られ、
ジミー以外の野良猫や野良犬は密かに、
いつの日か人間の社会へ反撃し、人間が我がもの顔で住み飼いする場所、
そのすべてを乗っ執ることを目論んでいました。
 ですがジミーは、そんなことにまったく関心のない猫でした。
 ただ、野良猫である自分が少なからず、人間に嫌われることもある存在であること判っていました。 
    
    
    
    
 夏のある昼下がり、英雄ジミーが商店街の舗道を歩いていると、
その横をたくさんの大きな箱を積んだトラックが何台も通り過ぎました。
トラックに積まれた箱は黒い布で覆われていて中が見えませんでしたが、
この時、ジミーは、一台また一台と、車が自分の目の前を通る度に、
そこから懐かしい匂いが漂ってくる不思議な感覚に気を取られました。
それは、黒猫ジミーがまだ小さい頃に覚えた、いろいろな動物の匂いでした。
そして、トラックの積荷は箱ではなく、すべて、動物達を輸送するための檻だったのです。
そうです、ジミーの住む街に、サーカスの一座がやって来たのでした。
 黒猫ジミーは、その匂いに誘われるように、トラックの進んで行ったあとを辿りました。
 サーカスが開かれる街の広場では、トラックから降ろされたたくさんの檻の中から、
いろいろな動物の鳴き声が聞こえて来ました。
ジミーは、聞き覚えのある像やロバの声を耳にすると、
自分の胸の鼓動が高鳴っていることに気づきました。 
「…そうか、もうかなり前のことだから忘れていたが、俺の本当の仲間はこいつらだったんだ。
あそこを覗いてみれば、みんなに会えるかも知れない」
 大人になった黒猫ジミーは、自分自身の故郷を想い出した嬉しさでいっぱいになり、
思わず走り出しました。
 サーカスのテントを建てたり道具を運んだり、
公演の準備で慌ただしい人々の足元を擦り抜けるジミーは、
広場の隅に並べられた動物達の檻の中を拝見させてもらいました。
ところが、一つ一つ丁寧に覗かせてもらい、
最後の檻の中にいた犬に吠えられたジミーは、そこで首を傾げました。 
「なんか違うぞ。これは俺の知っている連中じゃないな…」
 すると、後ろの檻の中にいた虎が云いました。   
「お前さん、猫の分際で、さっきから俺達をジロジロと見て回っているが、
“タダ観”はお断りだぜ。
それとも何かい? 誰かを探しているのかい?」
「ああ、ちょっと歳をとったライオンと、人参より果物が好きなロバ。
それから雌の黒豹をね…。ちょっとした知りあいなんだ」
そう応えたジミーが気に入らなかったのか、
向かいの檻にいた犬はまだ吠えていました。すると、
「うるさいぞっ! 俺様がこいつと話しているんだ、お前には関係ない!」
虎が吠えたので、犬はおとなしくなりました。
「なるほど。でもあいにくだが、お前さんの云っている連中はここにはいないぜ。
それだったら違うサーカスの一団さ。そこに俺の弟がいるから知っているが、
確か歳をとったライオンて奴は、もう死んじまったらしいぜ。
先週そっちの一団から送られて来た鸚鵡【おうむ】の奴が云ってたよ。
今は新しい若いライオンが代役を勤めてるらしい」
「そうだったのか…」
「残念だな。けど よかったら、その鸚鵡の奴に会って行きなよ。
他にもいろいろ知ってるかも知れないぜ。
今だったら、テントの向こう側にある人間が入っている小屋の前に立ってる棒に
紐で繋がれてるよ。同じような鸚鵡が何羽かいるが、
棒に摑まってクルクル回ってるのがそいつだ」
「ああ、親切にありがとう。でも遠慮しとくよ。話を訊いても会えないなら意味がない」
「そうか。でも、ロバとか黒豹についてもきっと詳しいと思うぜ」
「いいんだ…」
そう云って、黒猫ジミーはネオン街へ帰ってゆきました。 
    
 数日後、夏も終りに近づき、親切な虎がいたサーカス一座も、また別の街へ渡ってゆきました。
黒猫ジミーは相変わらず街の英雄でしたが、自分にも故郷があることを想い出した今、
以前よりもあまり元気がありませんでした。
 そんな時、ジミーのことを心の底から慕っていたマニーという名のボクサー犬が寄って来て、
ジミーに向かって云いました。
「ジミーさん、どうしたんです? 
最近、元気がないですぜ? 
意中の彼女にでも振られたんですか? 
それとも隣町の野良犬の連中と、また戦争する日でも近いんすか? 
そんときゃ是非また俺を使って下さい。お力になりますぜ」
犬のマニーは、自分のことを勝手に、黒猫ジミーの用心棒であると思い込んでいました。
「そういえば去年の戦争の時は、奴等、人質ならぬ猫質にしていた雌猫にもやられてましたね。
逆ギレってやつで…。へっへっへ、犬のくせに笑っちゃいましたよね。俺も犬だけど…」
 マニーのたわいない話をよそに、黒猫ジミーは黙っていました。すると…、
「…秋ですねぇ、ジミーさん。そうだっ! 
うまそうな焼き魚が捨ててあるゴミ置場って知ってますか?」
「いいや」
「なにね、俺の仲間から仕入れた情報なんですが、
ネオン街を北へ行った駅の裏側に、今度、居酒屋ってのを人間が建てたらしいんです。
そこは夜、人間の連中の出入りが激しくて騒々しいんですが、
翌日になると裏口のゴミ置場には焼き魚がいっぱいあるそうなんですよ。
別の情報では、“刺身”とかいうのもあるらしいですぜ。
どうです、行ってみますか? 案内しますぜ」
 こうして、黒猫ジミーは、厳つい顔つきのボクサー犬 マニーに連れられ、
焼き魚がたくさんあるという噂の居酒屋の裏口へ向かいました。
ですが、この時のジミーは、それほど乗り気ではありませんでした。
 猟犬くずれの野良犬と美しい毛並の黒い猫が、昼のネオン街を北へゆき、
駅の裏側へ回るため、繁華街から外れたガード下の舗道を歩いていると、
その前方に何やら猫の行列が見えて来ました。
「ジミーさん、なんですかね、あれは?」
「この界隈に住む野良猫の一同さ」
「でもどうして?」
「さっき自分で云ってたじゃないか、焼き魚がいっぱいあるって。おまけに刺身まで」
「ですけど、この様子じゃぁ、刺身はおろか、焼き魚なんてなくなっちまいますぜ。
俺、ちょっと ひとっぱしり行ってきます!」
「行ってどうするんだ?」
「大丈夫、任しといて下さい! んじゃ。」
犬のマニーはガード下にいたジミーをあとに居酒屋の裏口へ走ってゆきました。
黒猫ジミーは、そんなマニーを見送ると、通りの向こうを眺めていました。
 マニーが問題の居酒屋の裏口へ到着すると、そこでは案の定、
たくさん野良猫がゴミ袋の上へ群がっていました。
「おらおら、お前らっ! すぐそこにジミーさんが来てるんだぞ! 
ちゃんと残してあるんだろうな!」
マニーは吠えまくりながらゴミの中へ飛び込みました。そして生ゴミの袋を破くと、
中から引っ張り出した焼き魚らしき物を口に銜え、
「判ってるな、残りの焼き魚もとっておけよ! 
ジミーさんが来たらちゃんと選んでもらって、そのあと、お前らの物を決めてもらうからな」
と云いました。するとそこへ、ジミーがやって来て云いました。
「よせ、マニー。俺はそんなこと頼んだ覚えはないぜ」
「だってジミーさん、こいつら普段が普段だから見境ありませんぜ」
「いいじゃないか、早い者勝ちで。
俺たち野良猫の中には ひもじい思いを耐えて来た連中も大勢いるんだ。
お前も野良犬の端くれだったら少しは判るだろ?」
「はい。ですが、せっかくここまでジミーさんをご案内して、焼き魚を喜んで食べてもらって、
少しでも元気になってもらいてぇと思ってたんで、てっきり…」
「いいんだ。それより後ろにいた年寄りの猫を集めて、先に喰わせてやれよ」
「はい、分かりました。じゃ早速…。
みんな聞いたか!? 
若けぇ連中は後だ、年寄りの猫が先だぞ! ほらほら、ちゃんと並べ!」
 すると、その騒ぎに気づいたのか、居酒屋の店員が裏口のドアから跳び出てきました。
「ゴらぁ゛ーッ!」
 その人間の声と姿に驚いた猫達は一目散に逃げ去りました。
ある者は右へ、ある者は左へ、またある者は建物の塀を跳び越え、
そして、誰よりも素早く逃げたジミーのあとに続いて走り去った犬のマニーは、
ジミーに追いついて云いました。
「すみませんジミーさん。こんなことになっちまって。
このおとしまいは あとできっちりと…」
「いいんだよ。それより もうこの辺でいいだろう。誰も追ってこないよ」
 身のこなしに無駄のない野良猫と野良犬の二匹は
ガード下を抜けた辺りで足を止め、振り返り、舗道に人影がないことを確認すると、
来た道を戻ってゆきました。
 すると黒猫ジミーは、あるペットショップの前へ立ち止まりました。
そして、檻の中をグルグルと同じ方向に迴り続ける一匹の子犬を観ていました。
「ジミーさん、どうしたんです?」
そう云って、犬のマニーは、ジミーの見つめる方に気づくと、
「ああ。こいつ、ちょっと病気なんですよ。
餌も食べずに一日中こうやってグルグル迴ってるんだけなんです。
きっと、産まれ故郷が忘れられないうち檻に入れられて、
それで病気になっちまったんでしょうよ」
「やっぱりそうか…」
「ええ。…実は俺にもこういう経験があるんすよ。
外国で猟犬として産まれたのに、突然、見知らぬ土地へ連れて来られて、
また猟犬として遣われるのかと思ったら、今度は朝から晩まで檻の中で飯を喰わされるだけ。
たまに散歩へ連れて行かれることもありましたけどね。
仕事は公園の広場で、人間が投げた変な丸い玩具を追いかけて行って、
それを人間の子供に渡して、また投げるから、また取りに行くっていう繰り返し。
ほんと、馬鹿馬鹿しかったっスよ。
そのうち俺みたいな犬は、ただの飼い犬としても扱い難いから放っておかれるだけ。
一日中、檻の中にいて頭がおかしくなってきちまって…」
「それで、治ったのか? 病気は?」
「ええ、この通り、ピンピンしてますよ。
…ま、俺の場合は『このままじゃいかん!』て思いが強かったから、
そん時の飼主の目を盗んで、とっととずらかりましたけどね。
それで今こうして野良犬やってますが、
コイツはまだ小さいから、ちょっと大変ですね。
おいっ、大丈夫か? 可愛そうにな、お前も…」
マニーはペットショップの子犬を励ますように云いました。すると、
「逃げ出せば治る病気なのか?」
「まぁ、こんな狭い所で自由を奪われて、
やりたいこともやれず、行きたい所にも行けずにいるよりは、
外の世界の方がよっぽど楽ですからね。
でも、こいつには無理かも知れませんよ。なんせ売り物にされてますからね。
…人間てのは勝手ですねぇ」
 それを訊いたジミーは、自分自身がまだ小さかった頃、
サーカス団にいた時のことを想い出しました。
   
 ジミーの知っているサーカス一座にも、
いろいろな動物が入れられた、たくさんの檻がありましたが、
中でも少し離れた場所に置かれた一つの檻。
その中にいた動物は人間達から特別な扱いを受けていました。
そこでは、一匹の年老いた熊が、狭い檻の中で与えられた餌も食べずに、
終始、首を振っていました 。
「君はどうしていつも左右に首を振っているのさ?」
まだ幼かった黒猫ジミーは、不思議な動きをしていた黒い熊に尋ねました。
「そいつに話しかけても無駄さ、そいつは病気だよ」
近くの檻の中にいた年配のライオンが云いました。
「先週の公演の時もその前も、ボールを使うショウで失敗して、
何度も何度もご主人様の鞭で叩かれ続けてな。
結局、餌は食べなくなるは、熱を出して寝込むは、
その上どこか打ち所が悪かったのか、おつむに来ちまってな。以来その調子さ」
「じゃぁ、病気なのかい?」
「だろうな。神経って奴がイカレちまってるようだぜ。
無理もないぜ、ああしろこうしろと小さい時から仕込まれて、
狭い檻の中にいる時間の方が長い。
どいつもこいつも森やジャングルにいた時とは大違いだ。
その上、次から次へと船や飛行機で移動させられる。
人間にも“時差惚け”ってのがあるらしいけど、動物だって長旅はこたえるぜ
そいつのように御老体にもなりゃぁ、
今の自分が何処にいるのかも見当つかなくなるだろうしな…」
「治るのかなぁ?」
「どうだかな。人間共はいろいろと手を尽くして来たようだけど。
このあと、どこかへ連れて行かれるようだぜ」
「どこだい?」
「知るもんか! 
まぁ俺なんか、この歳になって、いつも命が縮まる思いで
炎が燃えたぎる輪を潜らされて頑張ってるってのによ。
そいつは、ただのボールの投げ合い一つ満足に出来なくなっちまった老いぼれさ。
でも、きっと故郷に帰りたいんだろうよ。もう帰る所なんてないのにな…」
「故郷ってなんなのさ?」
「自分が産まれ育った場所のことさ。確かぁ、そいつはアラスカだったかな?」
   
 黒猫ジミーは、そんなふうに自分の記憶を辿りながら、
犬のマニーと一緒にネオン街へ帰って行きました。
   
   
 数日後、ジミーは、道路工事で渋滞していた街の大通りで、
激しくエンジンを蒸している幌のない貨物トラックを見つけました。
「…その昔、俺はあっちの方角からこの街へやって来た流れ者だった。
あの時はもう少し小さな乗り物で渡ってきたが、
確か、あれと同じような形だったな。
よしっ!」
 ジミーは、そのしなやかな足取りで爆音を奏でる貨物トラックへ近寄ると、
渋滞の中に停っていた、その荷台へ跳び乗り、
それまで住み慣れた街を出てゆきました。
    
 黒猫ジミーは利口な猫だったので、何年か前に自分がやって来た方角だけではなく、
白い小さなトラックの荷台で揺られいた間の時間も ちゃんと覚えていました。
ですから、貨物トラックの向かった先は云うまでもなく、
かつてジミーが、サミュエルという名の人間の子供に出逢った街でした。
 こうして、街から街へと はるばる渡り、再び戻った場所。
そこが本当に故郷なのかどこなのか? 
ジミーはトラックの荷台から街並を見回していました。
 そして、トラックから降りたジミーが、まず訪れた場所は、
うっすらと遠い記憶の彼方にある想い出の河原でした。
自分が産まれた街を離れたのは、たった三年ほどの月日でしたが、
街の色や匂いは大きく変わっていました。
 ですが、ただ一つ、今も昔も変わらず、懐かしい水の流れる音が聴こえて来て、
ジミーは安心しました。
 しばらくの間、ジミーは川の流れを見つめていましたが、それからそこで秋を迎え、
厳しい冬を過ごし、春を待つことを、その小さな心に決めました。
 秋の河原では鼠を追いかけたり、モグラの穴を覗いてみたり、遊ぶ場所もたくさんあって、
上流のキャンプ場から流れてくるゴミの中には幾らかの食べ物があったりしましたが、
冬になると食べ物は乏しく、橋の上から人間が投げ捨ててしまうゴミの中に、時々、
食べ物がこびりついたプラスチック容器があるくらいでした。
 そんな厳しい冬の、雪の降る朝のことでした。
痩せ細ってお腹を空かしていた黒猫ジミーは、どこか少し離れたところで
人間の声が聞こえてくることに気づきました。
その声は土手の方から聞こえて来ました。
でも決して、ジミーを呼んでいたわけではありません。
ですが、黒猫ジミーは、声のする方へどんどん近づいてゆきました。
すると土手の上には、雪合戦をして遊んでいる人間の子供達の姿がありました。
 子供達は夢中で、自分達の手の平で固めた雪を
相手にぶつけたり、ぶつけられたりしていましたが、
しばらくすると、段ボールの切れ端を見つけた子供が土手を滑り転んで、
楽しそうに笑っていました。
最初のうちジミーは、それを遠くの方から見ていましたが、
今までに見たこともない不可思議な光景に恐る恐る近づいてゆきました。
白一色の透き通った河原に、
ひとつだけポツンと、黒い小さな猫の姿がありました。
そこへ、数人いたうちの一人が、勢いよく土手を滑り降りて来て、ジミ-の姿を見つけました。
「おーいっ! ネコがいるぞ!」
人間の子供が仲間を呼ぶ声に、黒猫ジミーは少しだけ驚きました。
ですが、すぐそばまで静かに寄ってきた人間の子供達が、
着ている衣服のポケットからパンを取り出したのを見ると、
ジミーは後退りしながらも、子供達の差し延べる手へ身をゆだねました。
 本当に寒い朝だったので、ジミーは凍え、震えていました。
ですから、子供達の温かい腕の中にいると、まるで生き返ったような気分でした。
「いま風邪が流行っててな、明日から学級閉鎖で、今日は学校が早く終わったんだ。
でも給食は出たんだ。残り物だけど、いっぱいあるからな」 
「どんどん食べろよ」 
 そんな人間の言葉は猫のジミーには通じませんでしたが、
子供達の笑顔に囲まれ、安心して人参の味がするパンを少しずつ齧りました。
そうして子供達は、さっきまで土手を滑るのに使っていた各々の段ボールを広げると、
それを踏んで畳んで破いたり、ランドセルから引っ張り出した答案用紙を丸めて中へ入れたりと、
一生懸命にジミーのために小さな小屋を造りました。 
「じゃあな! 夕方また来るからな」 
「今度は牛乳も持って来るよ!」 
「それまで この中に入ってろな」 
子供達は代わる代わる抱いていたジミーをその中へ入れると、
土手を駆け登り、去って行きました。 
「…そうか、人間という生き物の中には、こんなことが簡単にできる連中もいるのか。
俺は あのネオン街で様々な物を見て、いろいろな目に出くわして、
その経験を巧く活して縄張りを作った。そして野良猫の世界では“英雄”と呼ばれて生きてきた俺だ。
それこそ、人間という生き物には敵意も抱いていたこともあったが、
今日は野良猫が人間に嫌われてばかりの存在ではないことを知ったな。
あんな温かい人間が生きている場所ってのは、いったいどんな所なんだろう?」 
 人間の子供達が造った紙の小屋は、もしも強い風が吹けば、すぐにでも飛ばされてしまいそうなほど
小さく頼りないものでしたが、孤独な黒猫ジミーは、その中で
少しでも寒さを凌ぐことができることに有り難い気持ちでいっぱいでした。 
    
 まもなく、厳しい寒さを忘れさせる穏やかな季節が訪れ、ジミーの待つ街には再び、
サミュエルのいるサーカス一座がやって来ました。
 河原には たくさんの菜の花が咲き誇り、
その上をたくさんの蝶が飛び交う、ある春の日のことでした。
黒猫ジミーは本能的に、一目、自分の親に会いたいと、
その夜、サミュエルと出逢った想い出の河原を後に、
サーカスの舞台裏を訪ねました。
 サーカスのテントでは、その日の公演を終えた人間達が
後片付けと翌日の準備をしていました。その中に、
お兄さんのロビンと一緒に、空中ブランコのショウに遣うロープを畳んでいるサミュエルがいました。
 暗がりにいたジミーは、どこか見覚えある その姿を見つけ、
一旦はサミュエルに近づこうとしましたが、他の団員がサミュエルを呼んでいる声を聞くと、
しなやかな足取りでテントの外へ出てゆきました。そして今度は、
サーカスに出演する動物達の檻が並べられた場所へゆきました。
 たくさんの檻の中にいた いろいろの動物達は各々、一日の仕事を終え、休んでいました。
そこに、黒豹のいる檻を見つけることは、
黒猫ジミーにとってそれほど難しいことではありませんでしたが、
暗い檻の中でせっせと餌を食べていた黒豹の姿を見て、ジミーは少しだけ驚きました。
「俺の大きさとは随分ちがうぞ。形も気配も、まるで猫じゃないな。
それにしても懐かしい匂いがする。挨拶だけなら大丈夫だろう…」
黒猫ジミーは、ゆっくりと黒豹の檻の中へ入って行きました。
 ところが、豹は、猫とは違う鋭い表情で近づてきたジミーを睨みつけ、
ジミーの顔に爪を立てました。
 こうして、さすらいの野良猫、“片眼のジミー”が誕生しました。 
 数日後、サーカス一座が街を去って行く明け方、片目のジミーは想い出の河原にいました。
 ジミーは、橋を渡るたくさんのトラックを見つめながら、自分には もはや故郷などなく、
この自然界において野良猫として産まれた限り、
最期まで野良猫として生きなければならない己の宿命を悟りました。
 その後、ジミーは、ネオン街に戻ることもありませんでした。
そして新たに野良猫としての生活を始めた場所。
それが、ヴィックルやサム、三毛猫ポーリーもいる街、
あの、 Black Eye Street でした。

    
    
    
    
    2008-03-28 15:51:38  
    とりあえず生存確認できて
    勝手に うれしかったので 
    ここへ 貼ってみた俺 最高