知らない人にこそきっかけを。
それがずっと私のテーマです。
マヤの紋章も、「白い律動の風」
律動の→同等、組織する、つり合わせる
白い風→スピリット、伝える、呼吸
イベントのオーガナイズも10年以上行っています。
あえて町中で。誰でも来れる、ふらっと出逢える環境を作り、
様々なジャンルをオールミックスして。
出逢いのきっかけをもっと!
と、何時も意識して、オーガナイザーをしてきました。
来場者2000人以上。
参加資格:あなたがあなたとしてそこにいること。
約束:誰も無理をしてはいけません
を掲げて、そして、スタッフは誰もいない。
来場者2000人以上の、出店者100ブース以上のイベントを、
電話連絡のみ、ミーティング無し!の、すべて、「できる事を持ち寄る事に意味が有る」スタイルで、日本一ゆるい、いい塩梅フェスを毎年開催しています。奇跡的に問題は今のところ起きませんw(養老でのイベントは熊の出現と、私の判断ミスで中止になってしまい、皆様に迷惑をかけました。それは私の学びです)
2011年3.11以降は、みんなともだちtunagarifestivalとして運営してきているのですが、
そこにいつも思う事、そして、会社の経営をしている事の軸は、「知らない人にこそ、きっかけを」
先日、大人の思春期を考え、ほんとに自分のしたい事をマインドローしてみました。
そこで見えてきた物は、「私の本当にしたい事は、クライアントからいわれた事ではなく、会社の成功。雇用しているスタッフの女性が、自らの手で稼いだお金を、自分への投資として心置きなく使い、未来をつくる女性を経済という足下でサポートしたい」
という事でした。
そのなかで、瞑想し、「知らない人にこそきっかけを」を見つめました。
「あれ?何を知ってもらいたいのか??」
私の知ってもらいたい事、それは、私の中の正義で、私の知ってもらいたい事を知ってほしいのか?
いや、それは、ただの私のエゴにすぎない。
私の中では、どういう答えがそこにあるのか?瞑想したさきに行き着きました。
私の思う、正義は、私の中の正義。
私の中の定義にすぎない。
私のすべてが正解ではないのに、自分の判断している正義が、すべての正義だと思っていないか?
たとえば、
私は、安保法案に反対です。戦争は良くないと思っている。
原発もいらない。そういう活動も全国視野で行ってきた。さよなら原発音頭もつくった。
未来の子ども達に負を残したくない!そう思えないなんておかしい!
病気になったら、すぐ病院!そのまえのメンテナンス、病気になった理由、そこに目を向けないのか??
森の幼稚園、シュタイナー教育、子どもの自主性をのばす事が一番すばらしい事だ!
一番のルーツである親を認め、感謝し、生きる事ができなければならない。
そんな、私の思いが、いつか、私の中の正義となった。
でも、それはみんな皆同じではない。
それに気づくきっかけがこの瞑想で得られたのです。
何を基準に「正義」とするか。
「正義」
の為なら、「聖戦」として、自爆テロもできる人もいる。
何が正義かは、その人の集合意識や、生きてきた環境、思考で決まるのに、
私は自分のそれを押し付けて、エゴで、「知らない人にこそきっかけを」と言っていたのか?
自問自答してみました。
そこで見えてきたのは、
「私は自分なりの正義がある。でも選択するのはわたしじゃない。」
ずっと、心の中にある、マザーテレサの「愛の反対は無関心」
でも、無関心か、関心かも選べるきっかけが無かったら選びようがない。
ずっと、そう思ってきた、そこにやはり行き着きました。
選ぶのは、その人自身。
ただ、メディアや、一般社会で知らない事を知るきっかけを作りたい。
正義は、その人が決めればいい。
わたしは、その信念だけは、ずっと10年以上もっているんだ。
正義感が強いね。と、ずっと言われてきました。
でも私の正義は、すべての正義ではない。
私だけの物。
他の人にとっては、違うかもしれない。
知らない人にこそ、きっかけを、とは、
いろんな考えが、一般社会の中に知識、常識、メディアの報道、だけではなく有るのかもしれないですよ。
そういう事をきっかけとしてつくりたいのだと改めて知りました。
それはある意味、「自分の正義が世界の正義」という思い込みを外したからこそ、わかった「争い」からの脱却。
マインドローの他者を認めるワークでも、この辺りを見つめていくのですが、
私も、タイミング事に、自分の価値観で人を判断していないかを、気にして、
知らない人にこそきっかけとは何かを考えていきたいなと思いました。
それがずっと私のテーマです。
マヤの紋章も、「白い律動の風」
律動の→同等、組織する、つり合わせる
白い風→スピリット、伝える、呼吸
イベントのオーガナイズも10年以上行っています。
あえて町中で。誰でも来れる、ふらっと出逢える環境を作り、
様々なジャンルをオールミックスして。
出逢いのきっかけをもっと!
と、何時も意識して、オーガナイザーをしてきました。
来場者2000人以上。
参加資格:あなたがあなたとしてそこにいること。
約束:誰も無理をしてはいけません
を掲げて、そして、スタッフは誰もいない。
来場者2000人以上の、出店者100ブース以上のイベントを、
電話連絡のみ、ミーティング無し!の、すべて、「できる事を持ち寄る事に意味が有る」スタイルで、日本一ゆるい、いい塩梅フェスを毎年開催しています。奇跡的に問題は今のところ起きませんw(養老でのイベントは熊の出現と、私の判断ミスで中止になってしまい、皆様に迷惑をかけました。それは私の学びです)

2011年3.11以降は、みんなともだちtunagarifestivalとして運営してきているのですが、
そこにいつも思う事、そして、会社の経営をしている事の軸は、「知らない人にこそ、きっかけを」
先日、大人の思春期を考え、ほんとに自分のしたい事をマインドローしてみました。
そこで見えてきた物は、「私の本当にしたい事は、クライアントからいわれた事ではなく、会社の成功。雇用しているスタッフの女性が、自らの手で稼いだお金を、自分への投資として心置きなく使い、未来をつくる女性を経済という足下でサポートしたい」
という事でした。

そのなかで、瞑想し、「知らない人にこそきっかけを」を見つめました。

「あれ?何を知ってもらいたいのか??」
私の知ってもらいたい事、それは、私の中の正義で、私の知ってもらいたい事を知ってほしいのか?
いや、それは、ただの私のエゴにすぎない。
私の中では、どういう答えがそこにあるのか?瞑想したさきに行き着きました。
私の思う、正義は、私の中の正義。
私の中の定義にすぎない。
私のすべてが正解ではないのに、自分の判断している正義が、すべての正義だと思っていないか?
たとえば、
私は、安保法案に反対です。戦争は良くないと思っている。
原発もいらない。そういう活動も全国視野で行ってきた。さよなら原発音頭もつくった。
未来の子ども達に負を残したくない!そう思えないなんておかしい!
病気になったら、すぐ病院!そのまえのメンテナンス、病気になった理由、そこに目を向けないのか??
森の幼稚園、シュタイナー教育、子どもの自主性をのばす事が一番すばらしい事だ!
一番のルーツである親を認め、感謝し、生きる事ができなければならない。
そんな、私の思いが、いつか、私の中の正義となった。
でも、それはみんな皆同じではない。
それに気づくきっかけがこの瞑想で得られたのです。
何を基準に「正義」とするか。
「正義」
の為なら、「聖戦」として、自爆テロもできる人もいる。
何が正義かは、その人の集合意識や、生きてきた環境、思考で決まるのに、
私は自分のそれを押し付けて、エゴで、「知らない人にこそきっかけを」と言っていたのか?
自問自答してみました。
そこで見えてきたのは、
「私は自分なりの正義がある。でも選択するのはわたしじゃない。」
ずっと、心の中にある、マザーテレサの「愛の反対は無関心」
でも、無関心か、関心かも選べるきっかけが無かったら選びようがない。
ずっと、そう思ってきた、そこにやはり行き着きました。
選ぶのは、その人自身。
ただ、メディアや、一般社会で知らない事を知るきっかけを作りたい。
正義は、その人が決めればいい。
わたしは、その信念だけは、ずっと10年以上もっているんだ。
正義感が強いね。と、ずっと言われてきました。
でも私の正義は、すべての正義ではない。
私だけの物。
他の人にとっては、違うかもしれない。
知らない人にこそ、きっかけを、とは、
いろんな考えが、一般社会の中に知識、常識、メディアの報道、だけではなく有るのかもしれないですよ。
そういう事をきっかけとしてつくりたいのだと改めて知りました。
それはある意味、「自分の正義が世界の正義」という思い込みを外したからこそ、わかった「争い」からの脱却。
マインドローの他者を認めるワークでも、この辺りを見つめていくのですが、
私も、タイミング事に、自分の価値観で人を判断していないかを、気にして、
知らない人にこそきっかけとは何かを考えていきたいなと思いました。