自論である「時間=命」論を語るにはちょっと時間がかかる。
しばらくこの自論にお付き合い頂きたい。


時間は人が作り出した概念なのである。
作り出した、ということはそもそも時間は存在しないのだ。
???…じゃあ時間って何?と。
ここでの時間の意味を解りやすくする為に、
「ストリーム(流れ)」と表現することにしよう。
つまり刻一刻と止まる事なく過ぎているこの自然な状況の事だ。


もう一つの意味は、ある瞬間からある瞬間までの目盛り。
これが人が作り出した時間の概念だと思われるので
この意味は通常通り「時間」と表現しよう。
で、前者の「ストリーム」は自然な現象であることに対して
「時間」は人工の概念だという事を念頭に置いておいて欲しい。


さて、ちょっと落ち着いて考えてみよう。
「ストリーム」は常に未来へのベクトルを持っている。
不可逆なものなんだ。
対して「時間」は可逆である。
その気になれば何時だって行ける。


例えば明日は10日後にでもなるし来年にだってなる。
1秒ずつ時間をさかのぼる事だって可能だ。


なぜならそれは作り出された概念だから、
時間が「1秒ずつ進む」という概念を「1秒ずつ戻る」
というように決めてやればいいのである。
いや、俺は大まじめだぞ。


じゃあ仮にストリームが過去へのベクトルを持って
-1秒というような時の進み方に沿うことが可能だとしよう。
そして今日一日という日を、明日一日かけてさかのぼったとすれば、
それは一日戻ったのではなく、一日過ごしたということになるのだ。


もし一日戻るのであれば、ビデオの巻き戻しのように
アナタ自身の世界も戻らなければ辻褄が合わなくなる。
アナタが時間を逆に辿るためには、時間(ストリーム)が必要なのである。


そう、これは重要な事だ。
認識する・行動する・日が昇る・風が吹く・木の葉が揺れる
全てにおいてストリームが必要なのである。
そしてストリームそのものの事を「ストリームが存在する」と表現するならば
過去も未来も「ストリームは存在する」のである。
例え全てが「無」だったとしても同じ。
宇宙が誕生するその前だって同じ。
「その前」っていう言葉こそ「ストリームが存在する」証明。
ただ、それらを私達が認識出来ないだけなのだ。


認識できないのはなぜか?
「ストリームの存在」を認識する為には、
私達を含む、動物や植物、星、宇宙が「存在する」事。
つまり「命」を吹き込まれたモノが「存在する」事だ。
逆に言うと私達が存在する事、存在すると認識出来るのは
「ストリームが存在する」からである。


よって「時間=命」、いや「ストリーム=命」の理論が導き出されたのである。
命がストリームを作り出していると言っても過言ではない。
結局我々は3つのディメンションから構成されているのである。


相対性理論?そんな難しい話は放っておこう。
発明して試行錯誤しなければ使えないディメンションなんて
存在しないものと同じ。そんなものは机上の空論に「≒」だ。
3つまでなら何も発明しなくとも自由に出来るのだから。
もし4つ目のディメンションを挙げるとすれば
それは精神世界の事だと考える。
発明しなくとも自由にできるしね。


余談ではあるが「時間が止まる」即ち「ストリームが止まる」という事は
この世界が存在しない(「無」というストリームさえ)という事になるだろう。
ドラえもんには申し訳ない。
というか自己満足で矛盾の多いかもしれない話に付き合ってくれて
どうもありがとう、感謝!