食べる為に何かを調理するわけじゃない。
誰かの為に料理をする行為は言わば不器用な僕にとって、数少ないコミュニケーションの1つなのだ。
自分の為に腕を振る舞うのも、自分自身と向き合う方法なのであって…、生きる理の為だけなのであれば俺は、汚らわしく粗末で安価な、どんぶりだって口にする。
このどんぶりに関する定義は、鮮やか手を振る舞う人に習った昔話。
こんな風に考える。
寄り添っている人々は各々がそんな気持ちで居るのだろうか?
熱いモノは熱い間に、冷たいモノは冷たい間に。
創造主には必然的に、そのモノそのモノに普遍的な適性を抱く。
と。
権利がある。
少なからず俺は俺のペペロンチーノに対して抱いている。
それはもしかするとソレは、言い様の無い、醜い言葉、或いは感情なのものかもしれない。
今のところ思いあたるソレが、僕にとっての愛情である。
それが音楽だったりって、よくある話。