【「ふざける」考】

とにかく、真面目っぽい場所や緊張をもよおす場所にいるとき、
心の中で、「ふざけたい欲求」が起こることってありませんか😂

「授業中や会議中に
何か面白いボケ発言をして、
会場を笑わせる」
とか、
「奇抜な格好をして来て、
みんなにつっこまれる」
とかそんなの。

私は小学校一年生の初っ端から、
マスクを目につけて、
「君は一番初めに緊張していた一年二組を笑わしてくれた子だね」
と褒められ(?)たわけですが、
中学生あたりになると、先生から怒られまくったり、それを見たクラスメイトから冷笑されたりいじめに遭ったりですっかり自分を出すのをやめてしまったわけです😂



講演会でも、感動の話、重い話の合間に、
「笑い」が絶妙なタイミングで入ると、
緊張していた場の雰囲気が一気にふわっとなる。

逆に、
「空気を読まずに」変なタイミングで、変な冗談をいって、
スルーされたり、
冷笑されたときの、
あの、「消えてしまいたい」感😂

と、度を越してしまって、
「ふざけすぎ」と怒られたり注意されたときの、絶望感😱

コミュニケーションが上手い人というのは、
この「おふざけ」感をめちゃくちゃ上手く使いこなす。

ユーモア。
つまり、「愛」があって、場の雰囲気を上手く緩める。

逆に、
「いじり」
支配的な構造の中では、ヒエラルキーの上の人が、
その構造から外れる人をバカにして「嗤う」ことが許されます。
そういうのホントやだよね😖


「ふざける」時は、
やはり、愛のある、みんなが幸せになれるようなふざけ方をしたいものです。


その場にいるみんなが安心して、自分をさらけ出してふざけあって、
いつも笑顔でいられる場って、すごく素敵。


ADHDやASDの人って、
そこらへん、
「調子に乗りたい」「笑いをとりに行きたい」衝動
と「場の空気を読む」の間の自制の間を
めちゃくちゃ綱引き状態でやっている。

授業中なんかでも、
先生の質問にわざとボケて答えたり、
何かあまのじゃくな返答をする子の心理というのは、
おそらく、
「振り向いて欲しい」
「注目されたい」
欲求が強い。

本能的にそうしてる。

もし、その試みに失敗した子は、
道化を装いながら、
内面には「自分の存在などどうでもいい」という空虚さを抱えながら、生きる。

敢えて、「自虐的に嗤われる」存在になってまで、自分の存在をアピールしようとする。


「ありのままの自分で価値があるのだ」
と伝え、勇気づけることが大切になってくるでしょう。



つい、頭の中で「考えちゃいけないこと」を考えちゃう。

•仲良くみんなで話している最中に、唐突に奇声をあげて目の前の人を殴ってしまうこととか(絶対やりたくない!)

•愛を込めて贈られた食事やプレゼントを目の前で踏んづけてしまうこととか(絶対やりたくない)

• 公衆トイレの床のタイルに裸で寝そべっちゃうこととか、(ぎゃーーーー)


そういうことはやることはないだろうし、
絶対にやりたくもないのですが、
なぜかそんな「人として信じられない」「おそろしい」とんでもないことがアタマにひらめいて、
「まあ、だからといって何か害があるわけでもないし」
と思って、そのままスルーするのが常だと思います😂


ADHDやASDの場合、
自分でも望んでいないことを、やっちゃって自己嫌悪になることが多い。

吃音やトゥレット障害や汚言症とか、
口に出す言葉がコントロールできないと本当につらいだろうなあと思うわけです。


とりとめのないことをまとまりなく考えましたが、
基本的に、

「私は私のままで素晴らしいのだ」
と思えること。

他者の評価ではなく、
自分が自分らしくある、
ということを軸にして、
やっていく。