出会いについて。
私たちがいつも心に巡らせることは、いつも「関係」についてだろうと思う。
自分の外にある、特定の他者から、特定の集まりや、世界全般についてもそうだし、
自分自身との関係のうちにも、
それらの世界との関係が反映されている。
私たちが関係について思い巡らせることは、
同時に人格とその像についてである。
たとえ純粋に、世界の事物や真理そのものに対する時でさえも、
私たちは、何らかの仕方で、語り合っている。
関係そのものが、関係の中で、
私たちの個を関係として形成している。
関係に関係しない個はあり得ない。
そう思うと、
私たちが「出会う」ということは、
自分自身で選択したようでいて、
実は、その背後に、「選択させている」ものがあり、
また、
偶然の出会いと思うようなことが、
実のところ、
深いところでは自分で選択していたものである、
というようなこともある気がする。
出会いは、一方で「出会う」ものであるが同時に「出会わされる」もの。
その背後に神秘を感じる。
良き出会いも悪いと思う出会いも、
確実に、私の存在を形成してきた関係の一つのピースなのだ。
確かに、私たちは、出会うべきペルソナを計算して意図的にコントロールしようとすることはできるし、ある面ではそうすべきであろうし、
私たちは自らの意思で、関係性を変えていくこともできる。
環境に対しても、かつ、自分が自分自身に対する関係性も絶えず刷新していくことができる。
それでもなお、出会いは、私の意図を超えたところからやってくる。
働くと同時に、働きかけられる。
働くことの背後に働きかけられるものがある。
それらは全て、私にとって大きな意味を持って関係する。
その関係の中で、自己は自己に対することによって変容していく。
関係の中で、精神は、いつも時代や状況の中で一つの限界に直面しながら、
可能性を、関係の中で、自由に向かって模索していこうとする。
私のペルソナが、
己自身も自覚し得ない深みも含めて、
他者のペルソナとその深みにおいて、
良き出会いになれるようになったらいいなあと願いながら
11月13、15、17の21:30〜22:30に
もっともっと素晴らしい自分に出会うための殻を破る三日間チャレンジをやりますので、参加したい人は空けておいてくださると嬉しいです。