オンライン・マインドフルネスの会、和やかな雰囲気の中で、3回目を終了しました。

この会は、知識としての「マインドフルネスを学ぶ」のではなく、マインドフルネスという道具を使って、「自分の心や身体の状態に気づいて学ぶ」ことを目的にしてやっています。

だって、マインドフルネスって「今ここ」の自分に気づく、それだけのもの。

とてもシンプルなのです。

でも、それを使って自分の状態に気づいていくことで、思いもよらない自分が浮かび上がってきたりします。

 

会の最初に、参加者に場になじんでもらうために、自己紹介の時間をとっています。先日、なにげに自己紹介を、と言って、自分が自己紹介をする段になって、言葉に詰まってしまいました。

 

「私」をあらわす言葉って何だろう?

 

性別からすると女性になるのでしょう。

一応、親からもらった名前はあります。

年齢も言えます。

職業は、出身地は、家族の構成は、趣味は、とあげていくとデータはそれなりにあるのですが、それって「私」をあらわしている言葉なのでしょうか?

「私」が「私」である、その根本にあるもの、それ抜きでは「私」ではなくなる「私」の本質ってなんだろう?

 

考え始めたら、本当にわからなくなりました。

 

それと同時に、思い出すことがありました。

小さいころからずうっと、私は「なにかひとかどの者」にならなければいけないと思い込んでいました。

誰からも感心されるような、才能なのか、職業なのか、人徳なのか。

とにかく、周りの人たちから「へぇ」っと言われるような特別な何か。

で、自己紹介するときに、少しだけ誇らしげに「私は○○です」と言えるような何か。

 

歳月を経て、さてさて、私は、そういう「ひとかどの者」になれたかというと、全然です。

どこにでもいる、そこらのおばさんの一人。

なのに、マインドフルネスで自分の心の中を覗いてみると、そこには焦りも動揺もありません。

無名の誰か、で問題なし!

それでも私は私だし、その存在感には揺るぎはないなぁ、と感じられます。

十全に、「今ここ」にいることへの充足感。

 

私が学んでいるハコミセラピーの「ハコミ」という言葉には、いわれがあって。

創始者のロン・クルツさんが自分のやっているセラピーに名前をつけよう、となった時に、そのグループに参加していた一人が、夢をみたらしいのです。

彼は夢の中で「ハコミ」と書かれた紙を手渡されました。

その後、「ハコミ」という単語を調べたところ、ホピインディアンの言葉に「hakimi」という言葉がありました。

その言葉の意味は、要約すると「あなたは何者か?」でした。

セラピーの内容にふさわしい、となって、それ以後、彼のセラピーはハコミセラピーと呼ばれるようになったのです。

 

劣等感まみれで、いつも自分ではない「何者か」にならなければ、と、もがいていた私。

歳月を経て、あらためて振り返ってみると、私は「私」という者以外の何者でもなかったなぁ、と思います。

 

私たちは、幼い頃からおしりをたたかれて、いつも、「今の自分」以上の何かになれ、と言われ続けて大きくなります。

 

でも、どうでしょう。

「今の自分」を「ダメだ。足りない」と否定すればするほど、私たちはとても不安定になり、不安になり、縮こまってしまって、持てるはずの能力ものびのびと発揮できなくなっているのではないでしょうか?

 

人にとって、成長も大事ですけれど、その成長も、「今の自分」という土台があってこそ。土台そのものを否定してしまうと、育つものも育たなくなります。

 

マインドフルネスになって、自分の内側を眺めてみましょう。

そこには等身大のあなたがいます。

背伸びをしていない、そのままのあなた。

無理をしていない自然体のあなたです。

自分の中の批判的な目線をいったん脇に置いて、

本来のあなた自身を感じてみましょう。

 

そこには、どんな、あなたが見えるでしょうか。

 

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※長年にわたり傾聴カウンセリングを行い、講師としても活躍されている中島知賀さんと共に、毎月1回マインドフルネスの会を開催しています。
興味がある方は、ぜひご参加ください。

 

ありがとうございました♪次回は6月8日20時から【オンライン・マインドフルネスの会】 | 生きづらさの根本を紐解いて癒す【深い傾聴によるカウンセリング】 (ameblo.jp)