雨の日曜日。
本日6月23日は、
沖縄慰霊の日とのこと。
当ブログではおなじみですが
わかば実家母が、
東京大空襲のサバイバーでして
わかばも
太平洋戦争の体験者の証言を
リアルで知る
最後の世代と思っています
過去記事:
わかば母の東京大空襲の話には
続きがあって
母(当時小学校低学年)、祖母、
叔母(母の姉)との3人で
東京大空襲に遭遇
最も被害のひどかったエリアの一つ
亀戸で
奇跡の生還。
その叔母は身重だったそうで
当時、パートナーさんは沖縄で従軍
沖縄玉砕の報を親族が聞き
身体に差し支えるから
その話は叔母の耳に入らないようにと
気遣っていたそう。
沖縄慰霊の日、というのは
近年の言い方ですかね
沖縄玉砕、
と母は言っていました
結局、
その話は(当然)
叔母の耳にも入ったものの
その後無事出産
(わかばの年の離れたいとこ、
にあたります)
後年、
叔父もなんと無事帰京
わかば小さいころ
この東京大空襲で亡くなった
祖父の法事では、
この叔父や、
祖母の弟さんというおじさん
(戦争の負傷で杖ついてた)
なんかもいて
当時の話もしていました。
(なんなら関東大震災の話とかもw)
わかばは昭和40年代の生まれ。
まだ終戦から20~30年程度でした。
街には靴磨きの方とか、
戦争で大けがをした方が物乞いをしていたり
そういう景色も普通にありました。
それって、
今年29年目だった阪神淡路大震災より
もっと近いってことですか
まあ東日本大震災も
今の小学生は生まれてないわけで
そりゃあリアルじゃないですよね。
戦争は
わかばの中では、
戦争は
自分のすぐそばにあったものという感覚。
いつの世も
戦争をしたい人はいて
そういう人たちは
最前線には行かない
戦費の負担(税)
戦地への派遣
空襲
愛する家族が亡くなる
そのあとの
血のにじむような再建の日々
犠牲になるのは
市井の人々
そういう世界は
繰り返したくないです