アートに触れる時間を増やしたい。2018年の目標の一つ。

いま、市川で星野道夫の写真展を開催中と知り、足を運んできました。




もう没後20年。そんなにたつのですね。

しかもこの写真展は、既に二年以上開催していますので、それ以上たっています。松屋銀座で開催されていたときに逃してしまったのに、一巡してまた関東での開催。

実は、星野道夫さんは市川出身なのだそう。今回初めて知りました。

生前の90年代から軽いファンでしたが、オリジナルプリントは今回が初めて。朝の空いた時間帯ということもあり、ゆっくり一枚一枚の写真と対話することが出来ました。


アラスカの野生動物、植物、人々の暮らし。

写真に切り取られた一瞬から、彼からのメッセージも伝わってくるよう。渾身の一枚を撮るために、それこそ何時間も何日もかけるのだろうから、その「待ち」の間の空間とはどんななのだろうか。そこは果てしない大自然の中の音のない世界?それとも、何か自然の音がするのだろうか?

霜や雪、氷河、海、川。それらが存在するということは、やはり寒いのだろうか?と、わかばがかつて行ったことのある北海道のマイナス20℃の世界を想像してみる。

あるいは、クジラ漁の手漕ぎの船からの写真。手で漕いで沖へ行き、クジラを仕留めて、みんなでひいて帰ってくる。その途方もない時の流れと静けさ、人と人の繋がりをイメージしてみる。そして人々は助け合わないと、暮らしてはいけないだろう。自然環境も間違いなく過酷だ。

いろいろ想像してみるけれど、結局自分の日々暮らす世界とは余りにかけ離れていて、とてもリアルに感じることは出来ない。夜空を見上げても、星などほとんど見えないような街は、グリズリーやザトウクジラがのびのびと暮らす世界とはあまりに違う。

ただ、自分の理解を超えた世界の存在を意識することは、意味のあることだと思う。広大な自然の前では、人間の影響力は小さい。自分を含めて、人の一生はとてもちっぽけなもの。悠久の時の流れの中では、日々感じる無力感や悩みも、本当は大したことがない。その事実には、正直打ちのめされるし、一方でその分ホッとするところもある。そんなにもがかなくてもいい、頑張りすぎずにもっと自然体でいていい、と自然環境の懐の深さで受け止めてもらえるような気もする。

アートを見て、すぐに何かが変わることは期待しないけど、自分が美しいと感じるものを観る時間は、やはり大切にしたい。都会の子育てでは、時に親である自分の喜怒哀楽を封印して、日々を無難にやり過ごしたくなることもある。

自分の子どもに「好きなことはなあに?」「得意なことを、どんどんやりなさい」。そんな風に言うなら、親である自分も「これが好き」「心地よいのはこんな時間」と感じられる世界は持っていたいし、何より、その方が豊かで楽しい人生だと思う。

そして、自分自身でアラスカの大自然の空のもとでテントを張ることはかなわなくても、私達は星野道夫の写真を通してその一端を垣間見ることが出来るのだ。四半世紀前のアラスカに生きる生命の営みを切り取り、写真として残してくれたおかげで、21世紀になってもその美しさを体験することが出来る。

20代で見た星野道夫と、子育てに仕事に日々悩む今とでは、やっぱり感じることも違うように思う。作品は変わらずその輝きを放っているけれど、受け止め方は違う。ストイックなまでに無駄を排した写真には、ちょっと厳しく突きつけられる面も正直あったかなぁと。

それでも、ただただ良いこともそうでないことも、日々そのまま受け止め生きていく。それが生命(いのち)の掟だと、彼の作品を通じて教えられたように思う。