ながい休みのおしまいに
5月3から6日まで,屋久島に行っていた.
3月頃,何気なく連休のプランを考えたとき,帰省と共に浮かんだのが屋久島だった.
ふとした思いつきだったが,調べてみると,航空チケットがかなり格安にとれることがわかり,
期限ぎりぎりで何とか手配した.
宿もどうにか見つけることができ,なにかに呼ばれるようにして屋久島に行くこととなった.
屋久島での出来事はいろいろとありすぎて,思い出したくても忘れられない.
一人旅ではあったが,最初から最後まで出会いにあふれたものとなり,寂しい思いをする間はなかった.
ダイビングをしに来たと言うひと,ロングバケーションで方々歩き回ってきたというイギリスの若者,
自転車で島を一周したひと,すし屋で出会い,一緒に縄文杉を見に行ったひと,
縄文杉前で偶然再会したひとたち,5回も屋久島に来ていて恐ろしく自動車の運転のへたなひと・・・
そのほかにもたくさんの人に出会い,さまざまな交流があった.
そのすべてが今はもう懐かしく,忘れがたい.
屋久島は恐ろしいほどに生命力にあふれ,こぼれ落ちるくらいに命がそこここに満ち満ちていた.
ぼくは木々に触れて歩き,流れ落ちる水を口にした.
山の中や長い距離を歩くのはそう簡単ではなかったが,
日に日に自分の体がなにものかで満ちていく感覚を覚えていた.
また,毎晩のように三岳を飲めるのもとても嬉しい日々であった.
そして,終盤に目にした縄文杉の迫力やスケールの大きさにはただただ見入るしかなく,
ここに来られて本当に良かったとこころから思った.
ここでこうして生きられて良かった,とさえ思った.
この先,自分の進む道に何があるのかはわからないが,
このながい休みに経験したすべてが,それまでの道のりを振り返ったときには
ひとつの転回点として立ち現れるような気がしてならないでいる.