天上絵師KAWAZO旧ブログ -83ページ目

考える ということ

こんにちは。天上絵師KAWAZOです。
いつもありがとうございます。


やっと、爺様モードから通常に戻す方法がわかってきたので、ブログも普通に書けるようになりました。
爺様モードは非常に文章が固い感じで、爺様というくらいなんで、男的です。

抽象的な思考には強いというか、適しているというか…私には、書きやすい思考の形です。

ただ、普通に話してるつもりでも「ケンカ売ってんの?」みたいな受け取られ方してしまいそうな文面になりがちですね(^_^;)
私の爺様は、「~だからのぉ」とか「~じゃなあ」みたいな口調ではないのです(^_^;)

なんか…四角四面というか…とりつく島もない…って感じ。
言語に変換するのはとてもスムーズにいくので、爺様モードはチャットなどに使うとよさげなのですがねえ。

まあ、そのうち、もう少し活用できそうになってきたら、チャットでお悩み斬り捨てます…系なのを実験的にやってみてもいいかも…なーんて、思ってはいます。
泣いても知らんし責任も取らんけどね。





私は、常々このブログで書いている通り、「考える」ということが好きです。

文章書きが「一番楽にできること」のため、考察文などをツラツラ書くことも、好きです。


人にはそれぞれ、得意な分野、好きな分野、好きで得意な分野…が、ありますね。


でも、誰でも「考える」ことはできるし、日常的にやっていることでもある。

…なんだけどね。


考えないで、漠然と、言葉も使っていますね。

もちろん私だって、考えずに使ってること、やってること、たくさんあります。
「あ、それ考えたことなかった」ってことに出逢うと、嬉しくなります。
この、嬉しくなるかどうか…ってあたりが、分かれ目なんだろな~と思うけどもね。




今、友人達の間でブーム?なのが、「問答」です。

私はもともと、そういう、愚にもつかない物事を延々とひねり回す、答えがあってないような問いかけ、というものが好きです。
それ、中学生くらいから、毎日のようにやってました。
まあ当時のお題なんて、知れてますけども、シンプルだからかえって難しいようなお題は沢山ありました。

そう、小さな子が発する「なぜ○○は△△なの?」というシンプルな問いに、大人が窮するようにね。

そういう習慣がなくなって…というか、そういうのの相手をしてくれる人がいなくなって(笑)やっていない期間が十数年。
絵を描いてなかった、スピな世界からも遠ざかっていた期間と、バッチリ符合してしまうのですけどもね(^_^;)


「問答」をウィキペディアで調べると、「問答」ではなく「問答法」というページがありました。

気に入った箇所を引用してみます。


----ここから引用

W・K・C・ガスリーの『ギリシアの哲学者たち』によれば、ソクラテス式問答法は問題の答えや知識を求める方法ではなく、むしろ無知を示すことを意図していた。ソクラテスは他の詭弁家とは異なり、知は可能であると信じていたが、まず第一に無知であることを知る必要があると信じていた。ガスリーは次のように書いている。「(ソクラテスは)自分は何も知らないとよく言っていた。そして、彼が他の人々よりも賢いのは自分の無知を意識していたからだとした。ソクラテス式問答法の本質は、対話者が何かを知っていると思っていることを実は知らないと自覚させることにある」


ソクラテスは、それを当然生まれてくるべき知的な関心であり、それがしかるべく生まれてくるべく、その誕生の手助けをするということで、たまたま彼の母親が産婆の仕事をしていたことから、それを魂の産婆術、助産術とも呼んだ。

----引用終了


このページに書かれていることを知らずとも、友人達は、充分にその効能(?)を引き出した会話をしているようです。
もちろん、質問者と回答者のレベルが高いから、っていうのはあるけども、こういう形というのが、思考を言語で表現し特定して更に深めていくという、人間が持つ希有な資質の基本の部分なのだな、とも、思うわけです。

問答は屁理屈の展開だけでなく(笑)、認知療法の一つとしても用いられる。
つまり、固定観念を知り、それを転換させていくことが可能なのです。
自分で導き出した答えからしか、人は、本当には変化できません。
ブロックとなっている観念を覆すには、自分で、覆すための発想を習得するしかない。
問答を重ねることは、その、非常に有効なエクササイズです。

答えが出ないこと。
答えは出ないけど、存在すること。
それは人によって全く違うこと。

同じ単語、同じ事象でも、驚く程に捉え方が違う。
それを通常の会話の中から認識することは、非常に難しい。

人は自分が聞きたいように聞くし、見たいものを見るようにできているのです。

だから、問答で、そのテーマだけにシンプルに考えを絞って検証していくことは、自分の感覚を浮き彫りにするのに役立ちます。
それができてはじめて、ようやく、他人との感性の違いを、具体的に明確に知ることができる。

そして、その先にやっと、

自分は人と違う、みんながそれぞれ違う。
違っていて当たり前。
違っているから、面白い。
優劣で語られることなど、ほんの些細な範囲のことでしかない。

ってことが、実感できてくるんだと思うのです。

…まあ、私はまだまだ未熟なので、そこまでの境地には至れておりませんけどもね…(^_^;)




ともかく、友人達の間の問答ブームは、とても面白いです。

知りたがりな一人の友人が、別の友人達へお題を投げ、それをもらった人達が、それぞれブログに答えを書いたり、メールでやり取りしているのを見ていて

「そういうことは、もっとどんどん、やるべし。
 あなた達だけでなく、他の人も、みんなでやった方がいいんだけど」

と、思っていた。

そしたら、なんか、こっちにまで波及してしまいました。

別のやり取りで、私に投げてきたお題が、気持ちがささくれ立つようなものだったので抗議したら、

「じゃあ、今まで彼女達に投げたお題3つを、全部まとめて回答して!」

という無茶振りをされてしまいました(^_^;)



一応数日前には回答はできていましたが、諸処あって、UPしてません。
今日上げる予定です。


できれば、みなさんも、それぞれ考えてみてください。

言葉遊びでも十分。
正解はありません。


私の回答は、爺様モードで書いています。
どんな四角四面文体か、見ていただけばおわかりかと(笑


では、後ほど。