天上絵師KAWAZO旧ブログ -27ページ目

愛という名の元に

ここ最近何も書かない日々を過ごしてきて、それが、思いの外快適だった。

同時に、いつも巡回していたブログや、自分の関心がある記事を探して見て回ったり…
ということも、ほとんど、しなくなった。

一つには、そこに割く時間が足らなかったのは、確かにある。

自己探求に忙しく、余力がなかった。


しかし、実際に離れてみると…多くの時間を費やして巡回する意味が、失われたのを感じる。



これから、この世界で、どうやって私は「仕事」していこうか。




「セッションを受けて下さる方のガーディアンを描く」こと

それ自体は、私自身も楽しくて、面白く。

お渡しした時に感動してもらえたり、喜んでもらえることもまた、無上の喜びだ。


だから、これを、やめようとは思わない。


やめないなら、仕事の場を確保するために、イベントに出たり、積極的にセッション日を設けたり、という努力をしなければならない。

もちろん、それも、楽しい。
それは間違いない。


ただ。

私は、この世界…私が片足を突っ込んだ「スピリチュアル業界」というものが、日に日に、合わない水になってきているのだ。


私も未熟者だから。

間違いもするし、失敗もする。

偉そうに人様に説教してみることもあるけど、自分だって、説教される側にいる。


でも。

被災地に愛を!
原発に光を!

そうでなくても。

「愛」という名の元に繰り広げられる、キラキラウキウキした、空虚な世界。

セオリー通りの言葉を、よく考えもせずに発しているだけで、その気になれている世界。

その中に織り込まれた呪詛に気づくこともなく。

光を追い求めるあまり、限度以上の紫外線を浴びたような状態になっているのに。


肌の日焼けを異常に気にして、紫外線対策に余念無いというのに。

精神に…魂に浴びる必要以上の光害には、なんと無頓着なのだろう。



誰にでも「ハートを開く」というのは、本当に、「よいこと」なのか?


確かに、考えてばかりではダメだ。
しかし、考えることを避けていては、探求はできない。

探求無くして、個の確立など成し得ない。


考えず、誰にでも何にでもハートを常にオープンにし。
ネガティブを手放し。
天使や高次の存在に判断を委ね。

それは、もはや、人ではない。

光という名の…愛という名の元に「囲われた」、「人という種類の家畜」だ。


それでいいのか?

あなたの神は、あなたが「正体不明の神モドキ」の家畜となりはてることを、望んでいるのか。

そんなわけない。




私はこれから、「クライアント様のガーディアンを描く」という言い方を、変えようと思う。

まあ、まだ適した表現を探索中で、これと決まっていないのだけど。