多面
保留中のテーマ「怖い」にも、重要なキーである「多面体」と「万華鏡」
だが、今日のタイトルにある「多面」は、上で指す「多面体」とは、違う。
この「面」は、「顔」のこと。
天使にもそういう姿のものがあるが、やはり、多面の像はアジア圏だろう。
中でも、やはり私は日本の仏像が一番、造形的にもバランスがよく、美しいと思う。
三面六臂の阿修羅像を筆頭に、多面の像は、数々ある。
それらの面は、皆、それぞれに担う表情があり、意味も定められている。
造形的なルールのようなものがあるわけだ。
それらの役割分担を、それぞれの形相の面に託して造形されていくわけだが。
人が認識するのは、「全体としてのその像」であり、1体の像として、そこに象った神仏の名がつけられる。
というか、その神仏の名を象った全体像が造られる…というべきか。
いくつ面があろうとも、ついた名前は一つ。
つまり、本体は一人。
「仏面」「菩薩面」といった、仏様らしい面もあれば、「暴悪大笑面」という、大変な悪虐相を呈する面もある。※注
また、更にややこしいことに、胎内仏を内包している像もあり、そうなると、その仏の本体というのは、表に見えている○○観音…という名前さえも見せかけで、実は内部に納められた如来なりこそ、その真体だと、いうふうにも考えられる。
人間にそれを転用するなら、胎内仏こそが「その人間の核」ということに…なるのか?
そのあたりは、私にはまだ、確証はない。
しかし、だからといって、胎内仏を内包した表の像が…そして、それぞれの面が、独立した働きをしないか、といったら、それも違う。
見る人によって、多面のどの相に惹きつけられるかはバラバラで、だからこそ多面像は多くの人を惹きつける。
人間は、面白い生き物だ。
自分自分でさえ、自分の核がどこにあるのかわからない。※注2
多面のどの相を「自分だ」と認識しているか、それも、人それぞれ。
中には、多面をバラバラに分けて、それぞれに違った動きをさせて遠隔操作するような人もいる。
別々の場面で、別々の名前で、それぞれの面が、あたかも一面像であるかのように振る舞い、一面像として人に接している。
そういうケースがある。
特に、ネット社会になって、そういうケースが増えたと思う。
匿名でブログをたくさん運営したり、コメントを付け分けしてみたり。
一つのブログの中での自作自演となると、ちょっと、見苦しいと思うのだが、それも、使い方によるかなとも思う。
また、別人の設定をたくさんつくり、複数のブログを運営しているような人は、私は実を言うと、密かに尊敬している。
なぜって…私も多面を使い分ける派ではあるが、そこまでの技となると、維持するだけの精神力がなくなるからだ。
メンドクサイ。
どうせ、どこかで破綻する。
見る人が見れば、同じ人だと分かる。
そこまで器用じゃないし、そんなところにエネルギーを使うのもバカバカしいと思う。
第一、バレた時がカッコワル~じゃないか(笑
で…だ。
中には、
バレてもよい、別人としてやってはいるが、仮にバレたとしてもそれがどうした。
…と思っているツワモノが、いるのじゃないか…と、期待していたりする。
バレたとしても、そのまま、別人設定を殺すことなく継続するヤツ。
その設定を徹底するヤツ。
もし、本当にそれを徹底できる人がいたら、私は全部の設定をそれぞれ分けて相手したい。
そう思うのだけどね。
あ~、ただし、私が興味が持てるような内容を書いている人…に限定されてしまうけれども。
だって…アイドルの話とか、ファッションの話とか、誰それのゴシップだとか…そんなジャンルの人だったら、そもそも最初から全然読めないと思うので(^_^;)
…あ、今、「心配せんでも、そんなジャンルの人がオマエの前に現れるわけなかろ」って…。
誰やねん(笑
※注:見た目は悪虐な感じがするだけで、そこに込められている「仏の心」は、やはり慈悲なのである。
※注2:核の在処も形状も温度や触感も知っている…という人はいる。希有ではあるが。
だが、今日のタイトルにある「多面」は、上で指す「多面体」とは、違う。
この「面」は、「顔」のこと。
天使にもそういう姿のものがあるが、やはり、多面の像はアジア圏だろう。
中でも、やはり私は日本の仏像が一番、造形的にもバランスがよく、美しいと思う。
三面六臂の阿修羅像を筆頭に、多面の像は、数々ある。
それらの面は、皆、それぞれに担う表情があり、意味も定められている。
造形的なルールのようなものがあるわけだ。
それらの役割分担を、それぞれの形相の面に託して造形されていくわけだが。
人が認識するのは、「全体としてのその像」であり、1体の像として、そこに象った神仏の名がつけられる。
というか、その神仏の名を象った全体像が造られる…というべきか。
いくつ面があろうとも、ついた名前は一つ。
つまり、本体は一人。
「仏面」「菩薩面」といった、仏様らしい面もあれば、「暴悪大笑面」という、大変な悪虐相を呈する面もある。※注
また、更にややこしいことに、胎内仏を内包している像もあり、そうなると、その仏の本体というのは、表に見えている○○観音…という名前さえも見せかけで、実は内部に納められた如来なりこそ、その真体だと、いうふうにも考えられる。
人間にそれを転用するなら、胎内仏こそが「その人間の核」ということに…なるのか?
そのあたりは、私にはまだ、確証はない。
しかし、だからといって、胎内仏を内包した表の像が…そして、それぞれの面が、独立した働きをしないか、といったら、それも違う。
見る人によって、多面のどの相に惹きつけられるかはバラバラで、だからこそ多面像は多くの人を惹きつける。
人間は、面白い生き物だ。
自分自分でさえ、自分の核がどこにあるのかわからない。※注2
多面のどの相を「自分だ」と認識しているか、それも、人それぞれ。
中には、多面をバラバラに分けて、それぞれに違った動きをさせて遠隔操作するような人もいる。
別々の場面で、別々の名前で、それぞれの面が、あたかも一面像であるかのように振る舞い、一面像として人に接している。
そういうケースがある。
特に、ネット社会になって、そういうケースが増えたと思う。
匿名でブログをたくさん運営したり、コメントを付け分けしてみたり。
一つのブログの中での自作自演となると、ちょっと、見苦しいと思うのだが、それも、使い方によるかなとも思う。
また、別人の設定をたくさんつくり、複数のブログを運営しているような人は、私は実を言うと、密かに尊敬している。
なぜって…私も多面を使い分ける派ではあるが、そこまでの技となると、維持するだけの精神力がなくなるからだ。
メンドクサイ。
どうせ、どこかで破綻する。
見る人が見れば、同じ人だと分かる。
そこまで器用じゃないし、そんなところにエネルギーを使うのもバカバカしいと思う。
第一、バレた時がカッコワル~じゃないか(笑
で…だ。
中には、
バレてもよい、別人としてやってはいるが、仮にバレたとしてもそれがどうした。
…と思っているツワモノが、いるのじゃないか…と、期待していたりする。
バレたとしても、そのまま、別人設定を殺すことなく継続するヤツ。
その設定を徹底するヤツ。
もし、本当にそれを徹底できる人がいたら、私は全部の設定をそれぞれ分けて相手したい。
そう思うのだけどね。
あ~、ただし、私が興味が持てるような内容を書いている人…に限定されてしまうけれども。
だって…アイドルの話とか、ファッションの話とか、誰それのゴシップだとか…そんなジャンルの人だったら、そもそも最初から全然読めないと思うので(^_^;)
…あ、今、「心配せんでも、そんなジャンルの人がオマエの前に現れるわけなかろ」って…。
誰やねん(笑
※注:見た目は悪虐な感じがするだけで、そこに込められている「仏の心」は、やはり慈悲なのである。
※注2:核の在処も形状も温度や触感も知っている…という人はいる。希有ではあるが。