最近うつの本を少しずつ読み始めた。


今までうつの本なんて 休養をとる・薬を飲む・必ず治る そんな事しかかいてなくて


休養とってもなおらない人間の事なんてかいてなかった。


だから意味ないって思っていた。何年も昔みた3冊ぐらいでとまってた。


認知療法の本をみて(実はまだ読みきってない・・・分厚いし、読まないとと思うとそれがストレスになって塞ぎこ


んじゃったりもしたから)、今までこんないいものを知らなかったんだなと思って。


認知療法の本は何年か前にネットでいきついてどういうものかちらっとは知っていたのだけど


頭が働かないし、全然実践できないし、いつの間にか忘れ去られ・・・


再びいきついてすがる思いでネットで購入した。


(ふと思った・最近よいと思った事は忘れないように同じ事を繰り返し心の中で思っているせいか日記の中身もか


ぶってるかも?書いたかどうかも忘れる・・・。まだ頭よく働いてないな^^;同じ事何度も話しちゃうおばあちゃんみ


たいだ)


それから、うつ本にも私が苦しんでいる間にも情報は増えているかもしれない。解決の糸口があるかもしれな


い。と本一冊読んで、その中に2行でも3行でも自分の心にひっかかるものがあったらいいと何冊かよみはじめ


た。本もお金がかかるので躊躇はあったけど・・・。


回転してくれない頭で少しずつ、あれ・・・今内容頭にはいってこなかった・・・もう一度・・・あ・・・また・・・


なんてことを繰り返しながら


その中でうつは絶望と孤独を感じた時になるだったかな・・・ちょっと表現ちがうきがする アバウトにしかみてない


や。で、絶望は喪失感から生まれるともあったかな。


喪失感・・・。


私は何を失ったんだろう?と考えた時に


うつと診断される前もされた直後も、この状況を頑張って突破しよう、改善しようと頑張って頑張って、でも限界が


きてダウンして、ひたすら寝て休んで ちょっと回復したと思ったらまた再び出来るだけ、人より遅れている分、人


より頑張らなければと。他にどうしていいかわからなかったから。


うつになって、頑張らなくていい・頑張りすぎだと言われ、頑張ってるつもりなんてなかった でも本当に動けなく


なって 頑張ってた事にきづいた きづいたというより 気付かされた 


うつになりやすい性格・真面目・頑張りすぎる・そんな典型的な私の性格が招いた事なんだと・・・・


今度は頑張らないように、休むように心がけた


でも、私はその時 自分を失ってしまったんだ。今までの自分を全否定されたんだ


こんな自分の性格だとだめだ 変わらなければ 


楽観主義 少々の事では気にしない おおらかで器も大きい そんな人になっていかなければ


失ったのは自分ーーーー


私が治るなんて信じれなくなっていた


皆が普通に出来ている事は私にはとても出来そうになかった


もし治って出来るようになっても、あくせく一生懸命過ごしていって・・・そんな私はふっと虚しくなるんじゃないか


崩れ落ちてしまうのではないか  そうも思っていた


でも、一緒に死なないかと言われ、生きたいとも別に思っていないくせに それは選ばなかった いっそそうでき


たら楽なんだろう でも重い腰をあげない私は相変わらず。生きる事を選んだくせに情けないと思った。


でも、自分一人で生と死について思う時には思わないが、逃げたくないのだと思った。


死ぬことが逃げる事だとは思わない。そう思うのに、言われた時にはそうおもった。他の表現方法がわからなか


ったからなだけかもしれない。


逃げちゃえばいいのに逃げない。苦しみ続けるだけなのに・・・何の意味があるのかと問われたら何も言えない。


小学生の頃を思い出した。転校生と言う事でいじめをうけていた。親が転勤族で、数年後に転勤の話がでていて


転校したいかきかれた。したいとは言わなかった。任せた。結局親の単身赴任になった。そのせいでまた家族も


よくない方向にすすんだりもしたのだけど・・・。あの時、そんな状況なんてぽんっと捨てて新しい学校に行けばよ


かったのだ。 でも私は新しいところにいったところで状況が変わるとは限らないと思っていた。


私は今でも納得がいくまで・・・というところがある。いい面もあるだろうが、こだわりすぎでもあると思う。


そんな事を思い出して、私ってとことん変わらないのだなぁと思った。そういえば3日坊主の日記で何年後かに


数ページのっているのを読むといつも大抵同じような事でつまづいてる事に気付いた。


情けなく、ダメダメな事なのだけど。


一緒に死のうといわれた時に、極限自体では自分にもウソはつけない。本当に自分はどう思っているのだ?それ


はごまかしじゃないか?自問自答をする。逃げたくはないのだ。


その時から、自分の本当に望んでいる事を知る事がしいていうなら私の生きる意味になったのかもしれない。



また、のちに最近よく読ませていただいているブログで私は自我同一性拡散だったのだなと思った。


本当によくあてはまる。


そして、上記の自分の性格がまねいた・自分の全否定・楽観主義やおおらかに変わらなくてはとは


今では思っていません。


こうだったらいいなと理想な自分と今の自分が何かの拍子で、線で結ばれてそうなってくれる


みたいな事をいままで私は心の底でのぞんでいたのだと思う。


なんでも自分からスタートなのだ。自分から伸びていくもの、その先で何かと繋がっていく。


・・・続きに何か思ったのだけど、もうわすれた・・・すぐ忘れちゃうなぁ 


もうねよ。