3. 大宗師がお話しされた。「過去の儒佛仙中心の道家[1]で[2]工夫(コンブ)するのを見ると、静するとき[3]の工夫(コンブ)だけに偏(かたよ)っている。用事(ようじ)をしようとすれば工夫(コンブ)ができないし、工夫(コンブ)をしようとすれば用事ができないといって、あるいは父母(ふぼ) 妻子(さいし)と別(わか)れて、山中(さんちゅう)に入って一生(いっしょう)を過(す)ごし、あるいは雨が降(ふ)って庭(にわ)先(さき)の穀物(こくもつ)が流(なが)されても、知らずに読書(どくしょ)にふけったというが、これがどうして円満(えんまん)な工夫(コンブ)法(ほう)だと言えようか。それゆえに、われわれは用事(ようじ)と工夫(コンブ)を二つ考えずに、工夫をよくすれば用事がよくはかどり、用事ををよくすれば工夫がよくはかどって、動(どう)と静(せい)[4](両面を/二つのあいだを/二つを過ごすあいだ//動であれ静であれそのあいだを継続的(けいぞくてき)に/互いに根本になる動と静の間に/in both action and rest)三大力[5]を得る方法を説(と)いたのである。あなた方は、この動と静に、絶(た)え間(ま)のない、大きい工夫(コンブ)に励(はげ)みなさい。」

 

 


[1] 修行の道を明らかにした儒佛仙等の伝統宗教と思想。

[2] 註8参照。

[3] 用事のないとき。

[4] 註10を参照。

[5] 三学修行を同時に修めて得た三つの大いなる力。修養力、研究力、取捨力。

 

、 대종사 말씀하시기를 大宗師(だいそうし)は言われ(がお話(はな)しされ)た。「 과거 도가(道家)에서 공부하는 것을 보면 過去(かこ)の道徳家たちの修行した足跡をたどれば(道家(どうけ)[1]で工夫(コンブ)するのを見(み)ると)、 정할 때 공부에만 편중하여 静する(静(せい)の)時の修行(工夫)だけにかたよって、(偏(かたよ)っている。) 일을 하자면 공부를 못 하고 공부를 하자면 일을 못 한다하여 働く時には(仕事(しごと)をしようとすれば)修行(工夫)ができないし、修行の時は(工夫をしようとすれば)働(はたら)くことができないといって、 혹은 부모 처자를 이별하고 산중에 가서 일생을 지내며 (あるいは)父母(ふぼ)·(、) 妻子(さいし)と別(わか)れて、一生を山中(さんちゅう)に入(はい)って(一生(いっしょう)を)過(す)ごし、 혹은 비가 와서 마당의 곡식이 떠 내려가도 모르고 독서만 하였나니  ある人は、(あるいは雨(あめ)が降(ふ)って)庭さきでほす(先の)穀物(こくもつ)が雨に流されても、全然知(し)らずに、読書(どくしょ)にふけったというが、 이 어찌 원만한 공부법이라 하리요 これははたして、(これがどうして)円満(えんまん)な修行(工夫)法(ほう)だといえようか(言(い)えようか)。 그러므로, 우리는 공부와 일을 둘로 보지 아니하고 (それ)ゆえに(、)われわれは、仕事(しごと)と修行(工夫(コンブ))を二つにしないで(と考(かんが)えずに、) 공부를 잘하면 일이 잘되고 일을 잘하면 공부가 잘되어 修行に励め(工夫をよくすれ)ば、仕事(しごと)もよくはかどり、仕事(しごと)に励め(をよくすれ)ば、修行(工夫)もともによくはかどって、 동과 정 두 사이에 계속적으로 삼대력 얻는 법을 말하였나니 動(どう)·静(せい)[2]両面を一貫しての間(あいだ)に継続的(けいぞくてき)に<三大力(さんだいりょく)[3]>を得(え)る方法(ほうほう)をいう(説(と)いた)のである。 그대들은 이 동과 정에 간단이 없는 큰 공부에 힘쓸지어다 あなた方(がた)は、この動(どう) · (と)静(せい)両面を一貫して(に)、たゆまず 修行に(絶(た)え間(ま)ない、大(おお)いなる工夫に) いそしむべきである(励(はげ)みなさい)。」

 


[1] 修行の道を明らかにした儒佛仙等の伝統宗教と思想。

[2] 註7を参照。

[3] 三学修行を同時に修めて得た三つの大いなる力。修養力、研究力、取捨力。