人物がいる。私は宗教家でもない無神論者であるが
同じ人間として、これだけ分け隔てなく無条件に愛を
傾ける慈愛の気持ちを持った人は素晴らしい人だと
思ったからだ。
今日は少しストーリーを話しますね。
マザー・テレサが「死を待つ人の館」という施設を
カルカッタにつくり、道端で誰にも看取られることなく
死んでいくだろう人たちを連れてきて、最期を看取って
いました。
そんなマザー・テレサにこんな質問をした人がいます。
「自分はあなたの仕事を大変尊敬しているけれども、
ひとつわからないことがあります。なぜあなたは、
なけなしの薬を、それを与えたら元気になるかも
しれない人に与えないで、与えたところで死ぬに
決まっている危篤の人に与えるのですか?
なぜ少ない人手を、死ぬと決まっている人たちに
かけるのですか?」
マザー・テレサの施設に連れてこられるひとは
亡くなる寸前の人ばかりです。
しかし、マザーの施設があるカルカッタにある
病院では、薬さえ与えれば助かるかもしれない
人たちがたくさんいるのです。
生きる望みがある人たちに薬を与えないで、
どうして死ぬと分かっている人に薬を与えるのか?
しかし、マザーは毅然と次のように答えるのです。
「私たちは、その人にまず名前と宗教を聞きます。
一人格として相手を見、その人の宗教で葬るためです。
まず、彼らはぼうぼうの髪を洗ってもらい、くしけずって
もらい、うじが湧いた身体をきれいに拭いてもらう。
そして、生まれてから飲んだことのないような薬を
惜しげもなく与えてもらい、看護をしてもらいます。
すると、その人たちは必ずと言っていいほど、
「ありがとう」と言って死んでいくのですよ。
本来ならば、親をのろい、世間を憎み「神も仏も
あったものか」と言って死んでいくかもしれない人たちが
暖かい看護を受けることによって、親を許し、世間と和解し
「やはり神様、仏様はいらっしゃるのだ」という思いで死んで
いくことができます。そのために使われる薬や人手ほど尊い
使われ方はないでしょう?」
初めて、人の尊厳というものを感じて死んでいく。
それまで自分が恨んできた親やすべてを許すために薬を
使うことは無駄なのでしょうか?
マザー・テレサの発言は、見る視点が違ったのです。
口で言うのは簡単ですが、そういう気持ちを持つことって
難しいですよね....。
私も、マザーのように慈愛の心を少しでも大切にし、
相手を思いやれる人間になりたいですね。
