皆さんは自分の様々な欲求に忠実でしょうか?

こんにちは。メンタル・サポート協会です。

自分の中には様々な欲求が存在しています。何か食べたいや何を手に入れたい、こんな事がしたい、叶えたい、こうなりたいなど欲求が少なからず、フツフツと常に湧いているはずです。これが健康な人間です。

しかし、様々な環境、助言やルールや倫理にさいなまれ、自分の欲求を置いてきぼりにしてしまう場合があります。相手への優しさや世間の目や親を意識しすぎて、自分の欲求を押し殺し、そちらを優先してしまって後で、後悔し、自分を苦しめることになります。
その時は我慢しきれたとしても、その欲求が爆発したときには取り返しのつかないことや相手や周囲にも迷惑がかかってしまうことにもなりかねません。

迷った時には自分の頭の中に天使と悪魔が出て来ます。簡単に言うと天使は良い子ちゃん。悪魔は悪い子ちゃん。

ほとんどの秩序ある大人は天使の良い子ちゃんを選択しがちです。当たり前です。皆、仕方なく、仕方なくそうしているのは現実です。社会のルールや相手への配慮によって、自分の気持ちを優先出来ず、流されてしまいがちです。しかし、こういうときには、心を鬼にしながら、悪魔の言葉に耳を傾けてみましょう。

悪魔の言葉には、本当の自分の気持ちが入っているからです。自分が本当はどうしたいか含まれているが悪魔の言葉です。
法律上に触れるものや殺人、罪になるものはともかくとして、それ以外には悪魔の言葉を聞くことです。それが本心なのですから。

天使はいつも良い子ちゃんですが、それは社会的なもの。それにばかり従っていると自分をなくしていきます。そして、いつか我に返った時には自分を責め、相手への嘘に繋がります。

自分の気持ちに背き、相手や世間ばかりを気にしていると後々後悔へとさいなまれていくのです。

欲求は好みの問題です。
例えば、カレーライスが好きだったとします。
なぜ、蕎麦よりカレーライスが好きなのかと聞かれたら、それは答えようもない《好み》なのです。なぜ、蕎麦ではダメなのか?と聞かれても、カレーライスが好きだから。としか答えようがない。だってカレーライスがただ好きなのだから。

欲求とは、こんなものなのです。ただ欲するもの。それだけ。
何故か惹かれる、何故か好き。
説明もつかないような好みの問題なのです。

欲求の正体は誰にも分からないものなのです。時と場合によっては、天秤にかけざるを得ない時もありますが、極力、欲求には素直であって欲しいのです。

その選択が将来、自分を苦しめることになってしまわないように。