親から趣味の習い事の発表会見向けて自ら課した壮絶なお稽古、それを頑張ってやり遂げられたすごいでしょ、だからあなたもその勉強頑張りなさいと言われました。


 それを聞いた当初、真にすごいなこの人と感心し、私も頑張ろうと思ったのですが、それを機に私の潜在意識は取り組み初めて数週間経っていたその勉強の意欲が100℃から一挙に氷点下に下がり嫌悪感すら感じるようになりました。

 そして親のお稽古自慢が不気味で気持ち悪い身勝手な行為と感じるようになりました。

 楽器の猛稽古をしたということは騒音を毎日何時間も撒き散らした事、周りの迷惑を考えなかったのだろうか?

 老齢になっても猛稽古する精神力の強さ、その凄まじさと思い込みで自分の価値観を押し付け続け、私が得意なことや好きで習いたかった事はそんなことが出来ても一文の得にもならない、危ない、お前には無理などと言ってやらせてもらえず、全否定、ひたすら苦手分野の克服と体罰も含むしつけと罵倒、子供は誉めると伸びないと思い込んでいたようで、欠点やできなかったことばかりあげつらねられ育った私は自信がない子に育ち、それを埋め合わせするように社会人になってから仕事関連や趣味の資格を色々取得しました。

 その事も資格貧乏と言い捨てた親は今でもあなたが心配、といいながらも最近なんであんたはそんなに自信がないんだろうね、と、いうので呆れてしまいました。

 私の(子供の)自信の芽が出るや否や育つ暇もなく引っこ抜いていた張本人から発せられたその言葉。

 私の親は子供の応援団にはなれない性格で常に自分が主役で周囲に影響を与える立場でなくてわならない人なのだと最近気がつきました。(子育てに向かない性格)

 小さい頃本好きで勉強ができる姉が親にねえねえ、〇〇知ってる?と、親に話しかけた時、『この子はすぐ親を試そうとする』と言ったのを聞いたのは結構ショックで今でも覚えています。

 自分より優秀で輝かれてもジェラシーを感じて応援できず、基準の中に収まっていたら良しとする。

 父より人格的にも潜在能力が高いと私がが感じていた姉は、大学に入って以降、就学意欲と社会的成功を目指さず、のんびり気楽に生きるのが性に合っていると能力に見合わない仕事に就きました。折角授かった能力を活かさず残念に感じていたのですが、父親を頂点とする家族の中で居心地の良い自分の立場を潜在的に守る為だったのでは無いかと最近になって感じています。

 私は家族の中で出来が悪い事で心配され構われ、躾という名目で感情的に叱られることが多く(一部親のストレス発散対象にされていた)過干渉で育った事で摂食障害、自己肯定感ゼロで、友人も作れないストレスフルな学生時代を送り、心療内科やカウンセリングに通う事なく(親は私が精神疾患で有る事を世間に知られたくなかったのかもしれません)社会人生活を続けていました。

 家族と距離を置いて摂食障害が自然治癒し10年以上経つ今でも、できない事で構ってもらえる悪い成功体験と、私にはできないに決まっているという呪縛から抜けられない自分。自分の頑張ったステップアップをまんまと親の成果にされる悔しさと、親が求める姿にならないという反抗期的なメンタルが混在し前に進めないような気がします。

 育ってきた環境が元で見舞った行き辛さですが解決できるのは自己受容から始めるステップあるのみ。

 今回まさか今更の揺り戻しに戸惑いました。親から受けたメンタルへの影響力の根深さに改めて驚異を感じ、下手にコミュニケーションは取らない方が無難だと思いました。

 

 自分のメンタルブロックを解いて前に進む為に、

何が有効か色々考えた中で、自分が自分の親やパートナーだったらどうするかイメージして自信を内側からサポートするという考えに至りました。

 自分にも周囲の人にも期待ではなく受容と感謝。

 行動の時の感覚を味わい感情は俯瞰することを心がける。

 やってみたいと浮かんだことは即やってみる。


計画、実行 習慣化、努力のビジネス思考から距離を置いて緩く授かった人生に感謝して感覚的に生きていこうと思います。