口福 | 剣竿一如

口福

 抗ガン剤治療第三クール5日目。物見隊の制吐剤部隊、先陣ペプシド隊、本隊シスプラ隊の攻撃は、微熱、耳鳴り程度のダメージで無事終了。吐き気や激しいめまい、頭痛に悩まされずに済み、食欲不振にも陥らなかった。

 今日の昼食は家内の手作りビーフシチュー。と、言うよりも、牛肉200gをデミグラスソースで煮込んだ、と言った方が早いかな? さらにタマネギ1個、ジャガイモ2個、人参半本が煮込まれ、付け合わせに生パセリ4株と、豆姫さん手作りのスモークチーズ4片。それにパネトーネ生地のクロワッサン2個。もう、「どこのホテルだよ?」ってな勢いの豪華メニューでしょ?

 一口シチューを含んだ途端に、思わず声が漏れてしまった。美味い……。本当の事を言うと、このところ旨味(美味い不味い)はわかるが、塩味、辛味、酸味、甘味、苦味、渋味などの味覚が鈍り始めてきている。当然、嗅覚も鈍っているのだが、今日はハッキリと味も香りもわかった。肉の香ばしさ、デミグラスソースの香気が違う。これでも釣魚料理漫画のメニューレシピ原案を提供した事もある眠釣様だ。家内は笑っていたが、何か手を加えているのは明白。もう、涙が留まらなくなってしまった。

 「??? ねぇ、どした? 熱かった?」 

 「違う。美味い……」

 「美味しくて、何で泣くンさ?」

 「わからんけど、うれしい(泣)」

 「変なの(笑)」

 旨い、美味い、ウマイ、うまい、美味しい、オイシイ、おいしいと食べ進めていたのだが、抗ガン剤治療を受けていると、食事だけでもかなりのエネルギーを消費しているのがわかる。やはり身体の芯が、治療のダメージと対抗するために疲れているのだ。途中で休憩しないと食べ続けられない。首筋に汗が浮き、呼吸もフゥフゥとなってくる。真夏に熱々のラーメンを食っているような感じだ。

 泣きじゃくりながら、休憩を交えながら、昼食を摂った。食べ終えたところでバイタルチェックに看護師さんがやってきた。

 「うわ~、いい香り。おいしそ~なニオイがしますね♪」

 「わかる?」

 「だってまだ、お昼ゴハン食べてないンです(笑)」

 「あぁ~、患者さんの食事配膳、食事介助、それにルーチンワークだもんね」

 「よく知ってますね~(笑)」

 「もう、何ヶ月ここにいると思ってんの(笑)」

 「眠釣さんは抗ガン剤治療中でもシッカリ食べられてヨカッタ♪」

 「ありがとう。でも、ちょっと疲れた(笑)」

 「?」

 「ゴハン食べるとね、食事疲れするんだ」

 「……ッ! 気分が悪いのに、無理に食べてるとか?」

 「違うよ。夏の熱々ラーメン食いみたいな感じ(笑)」

 「ん~、悪い感じじゃないンですね?」

 「うん。むしろ疲れてでも食える幸せ、口の幸福、『口福』 ってのを感じてる(笑)」

 健常者にはどうやっても伝わらないであろう、噛み合わない会話を聞いていた家内が、ケラケラと笑ってましたよ、ってお話でした。