今日は慈覚大師の事が何となく気になったので書留ておこうと思います。
世間には知られていませんが。
慈覚大師は、「あいうえお」の配列を考えたお坊さん何です。
その慈覚大師の霊体がいるかな?
と、思われる場所です。
そして、このお坊さんは出家するのに、最澄にするか
弘法大師にするか迷われたそうです。
でも最澄を選んだそうですが、何と無く、隣の芝生は青い。
と言うエネルギーを感じたので。
もしかしたら?
弘法大師に対して未練があったのかな?
と、思ったのでエネルギーを感じていたら。
何と無く。
「自分の判断は間違って居なかった。
最澄は自由に色々な経験させてくれた。
今は感謝でいっぱいです。」
と、言われた気がします。
きっと、当時はそこまで感じる事は出来無かったのかも知れ無いんですね。
きっと、当時から弘法大師は凄い存在として崇められていたんてしょうね。
でもどちらに行っても慈覚大師はやりたい事をなさっていたと思いますが(笑)
この慈覚大師は歳の片腕のような存在だったようです。
それと、また!違うエネルギーがありました。
そのエネルギーは不満と怒り。
何だろうか?
と、思ったら。
本心は栃木の慣れ親しんだ土地唐離れたく無かったみたいです。
そして、出来たら栃木に近い比叡山に決めたのかも知れですね。
その後も慈覚大師は、秩父とか日光とか東北にお寺を建造してるので
四国は遠かったのかも知れ無いですね。
そんなエネルギーも感じました。
でもこれは私が感じたよもや話ですが。(私とリンクしたエネルギーなので)